とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「自由と責任」か、それとも「管理と調和」か?

 大学で経済学を教えている高校時代の友人が、「中ロ、銀行決済網の統合検討 欧米から排除で代替策」という記事に対して、「いよいよ中国-ロシア-イラン経済圏ができるのではあるまいか」とFacebookに書き込んでいたので、「それは悪いことですか?」と訊いたら、「悪いことじゃありません。習近平は欧米から自立したい。技術は目途が立ってきた。資源はロシアとイランから調達できる。あとは十分な広域市場圏。これで自立できる。世界は二分割されるでしょうが、これはこれでひとつの落ち着き先でしょう。ただし、これは経済面からのコメント。政治的には、ロシアを従えた新たな中華帝国の政治的支配体制はおぞましいものになるのではないか」とコメントがあった。「日本は欧米経済圏の周辺国としてやっていくしかない」との追加コメントも。

 普段、彼からは反米的、新自由主義批判的な投稿が多かったので、少し意外。確か彼は西洋中世経済史が専門だったように思うが、中国のような計画経済に対しても批判的なのだろうか。それとも独裁的管理体制に対する嫌悪感だろうか。でも、欧米的価値観が幸せかと言えば、正直よくわからない。

 イメージだけで申し訳ないが、欧米の価値観が「自由と責任」だとすれば、中国のそれは「管理と調和」か。日本人はどちらの方が馴染むかと言えば、実は後者ではないだろうか。私自身はどうかと言えば、自由はもちろん求めたいが、一方でセーフティネットもほしい。十分なセーフティネットのためにどこまで管理を許容するかと考えると悩ましい。たぶん多くの中国人は、それなりの管理は許容しつつ、それほどの不自由も感じずに生きているのではないか。

 いつだったか、「建築の専門家だから、住宅には拘りがあるでしょう」と言われ、「いや、どんな住宅でも暮らせば慣れるので、そんなに拘りはないですよ」と答えたことがある。たぶん生まれた国の体制に慣れて僕らは生きている。大きな変化は望まないが、少しずつの変化なら気付かないかもしれない。「自由」と「管理」。「責任」と「調和」。たぶん生きやすい社会というのは、それらの微妙なバランスの間にあるのだろう。