とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

国葬の日

 9月に国葬があるそうだ。国が死者のために執り行う葬儀。だが、死者は既に死んでいるのだから、どんな儀式をしようが、どれだけ騒ぎ立てようが、その耳には届かない。意識にも届かない。そう、葬儀は死者のためではなく、生きている人々のために行われる儀式だ。そして、誰も、葬儀に参列している人の心の中まではわからない。何を考えているか、何を悲しんでいるか、わからない。国葬の日、国が葬儀をしている時間に人々が何を考えているか、自分のこと以外は誰もわからない。

 だから、国葬の日、私は、私が一番大事だったあの人のことを思って過ごそう。

 そうすれば、国民から徴収した税金を使って、国が国民のために葬儀を行うことにも意味が生まれる。私の大事だった人のために、国は葬儀を挙げてくれる。ありがたいことだとさえ思う。ならばいっそのこと、毎年、9月27日は「国葬の日」としたらどうか。「祝日」ではないだろうから「忌日」。でも、休日にはしてほしい。私の大事だったあの人と過ごす大事な1日だから。「国葬の日」、あなたは誰を弔いますか。誰のことを思い出しますか。

 

PS.どうせ国葬が強行されるのなら、こうして、その1日を過ごしたいと思う。