とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

今日拾った言葉たち

 2016年春から2022年夏まで、「暮らしの手帖」で連載してきたエッセイをまとめ直したもの。その間に13編のコラムが入る。欄外に「この頃の出来事」が記され、「マイナンバー制度開始」とある。同じページの本欄には「税収というのは国民から吸い上げたものでありまして」という安倍首相の発言が載っている。そして2022年夏には、安倍首相が銃撃され、命を落とした。長いようで短い。変わったようで変わっていない。社会はますます悪く暗くなっていっているように感じる。

 雑誌や本、テレビなどで綴られ、語られた言葉を惹いて、武田砂鉄がコメントを書く。胸を打つ言葉もあれば、乱暴で無慈悲な言葉もある。だが筆者が綴る言葉は、常に社会に寄り添っている。けっして派手ではないが、「そうだよな」と頷く。そして、僕らはこうして平凡に、しかし自分の思いに沿って、時に怒り、時に悲しみつつ、生きていけばいいんだよなと思う。世の中には多くの言葉に溢れている。それに振り回されるのではなく、自分の気持ちを大事にしようと思う。武田砂鉄がまさに実践しているように。

 

 

○本屋は決して、自己を啓発するためにあるのではなくて、自己をどこに置いたらいいか、どうにもわからなくなった時に、いくつもの椅子を用意してくれる場所なのだと思う。…本屋はその選択肢の多さを教えてくれる場所だ。成功するために行く場所、何かしらの答えを探しに行く場所とは限らない。むしろ、ただ受け止めてくれる場所、問いを探しに行く場所、だと思っている。(P21)

○こういうふうにしろ、という指示を、本当にそれでいいのだろうか、私はこう思うと、自分のために考える。「戦争を阻止するため」には、社会全体の大掛かりな改革が必要となる。その時、「あなたがたの言葉=男性の言葉」ではなく、新たに言葉を獲得することが必要なのだ。…群れを作り、認め合い、慰め合う。戦争はそんなマッチョな精神によって繰り返し発動してきた。そうではない精神を探さなければいけないはずだ。(P68)

現代社会は、とにかく傷つくことを避ける。傷つく可能性を予測し、少しでもその可能性があるところには近づかないようにする。…今、私たちは、傷つかないようにしすぎるあまり、自分の傷も、他人の傷もわからなくなってしまったのではないか。傷を隠すことと、歴史を忘れることは通底している。…傷を隠すのではなく、受け止めるところから始めなければいけないのだろう。(P97)

○つまずいた人がいれば手を差し伸べるというのは…根本的で、最後まで残る信頼感だと思っている。ところがこの社会、その力が弱い。ものすごく弱い。何らかの事情でレールから外されてしまった人を救おうとしない。外されたからには、外されたなりの理由があると思わされる。こうやって強制された弱さに慣れてしまうと、レールから外れてしまった人は、レールに戻ることを諦めるようになる。そのように諦めさせながら回していく社会だとも言える。…これでいいのか。(P167)

○力の強い者が「自由」を強引に行使すると、そこでは多くの人が痛めつけられてしまう。金儲けの自由、環境を壊す自由、自由は…とりわけ、強者が好んで使う。そうやって自由が悪用されている社会にあって、必要なのは「あいだ」を考えることではないかという。…国と国、国と個人、人間と自然、あらゆる関係性には「あいだ」があり、その余白の部分を使って歩み寄ったり、議論したりするからこそ、「自由の基盤」が生まれる。…不自由を受け止めるところから「自由」が顔を出すのだ。(P190)