とんま天狗は雲の上

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ザイム真理教☆

 これまで森永卓郎は庶民派の経済評論家として好意的な目で見てきた。しかし、著書を読んだことはない。新自由主義的な政策には批判的というイメージはあったが、実際のところ、どんな経済政策を支持し、提言しているのかは知らなかった。財務省の「財政均衡主義」への批判と日本経済を再生するためには金融緩和と財政出動が不可欠という主張は、それなりに説得的に感じる。

 本書の中では、MMTを批判する小幡績氏や藤巻健史氏を批判する一方、岩田規久男の「『日本型格差社会』からの脱却」を評価している。「『日本型格差社会』からの脱却」は私も読んだ。筆者の品性には鼻白むところもあったが、論理的には明晰で理解できるものだった。しかし、岩田氏といえば、アベノミクスを推進したリフレ派の雄。そして、森永氏も、意外にもアベノミクスを部分的には評価し、「安倍晋三回顧録」に綴られた財務省批判を好意的に評価している。もっとも結局は麻生太郎への配慮ということで、消費財増税を実施してしまったことが、現在の経済情勢を招いた。それも含めて、ザイム真理教の策略だったのではないかと憶測している点も興味深い。

 岸田政権は完全にザイム真理教に屈した。財務省の「財政均衡主義」を「ザイム真理教」と名付けたことで、本書はヒットしたのだろうが、逆にそれゆえに財務省の「財政均衡主義」に対する歯止めとしては弱くなってしまったかもしれない。年末、筆者のすい臓がんが公表され心配したが、先日の報道ではだいぶ回復し、次の著作の準備も進められていると言う。あとがきに、三五館シンシャから発行することになった経緯が綴られている。相当にショックな話だったが、逆に筆者の次作への期待も高まった。楽しみにしたい。

 

ザイム真理教

ザイム真理教

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○銀行は最初の預金の何倍もの融資をすることができる。これを経済学では「信用創造」と呼んでいる。銀行はお金を創り出すことができるのだ。…財政も同じで、自国通貨を持っている国は、財政均衡に縛られず、より柔軟な財政対策をとることができる。財政赤字はある程度拡大させ続けても大丈夫なのだ。/ところが、岸田政権は2026年度に基礎的財政収支を黒字化するという目標を設定している。それは、財務省の意向に忠実な「財政均衡主義」を岸田政権も受け継いでいるからだ。(P27)

○国は、国債という借金を987兆円…、借入金や未払金なども加えると1661兆円という負債を抱えている。…一方…合計の資産額は1121兆円だ。…差し引くと、資産負債差額は540兆円となる。これが本当の日本政府が抱える借金なのだ。…借金のGDO比は102%だ。GDPと同程度の借金というのは、先進国ではごくふつうの水準だ。日本の財政が国際的にみて悪いと言う事実はまったくないのだ。(P58)

財務省は、社会保障財源として消費税を充てる理由を、①税収が景気や人口構成の変化に左右されにくく安定している、②特定の世代に負担が集中せず、経済的に中立さからだとしている。/しかし、税収が景気や人口に左右されないということは、どんなに生活が苦しくても、強制的に徴収するということだし、特定の世代に負担が集中しないというのは、現役を引退した高齢者からも金を巻き上げ続けるということだ。…そもそも日本の社会保障制度は…労使がともに支えるというのが基本だ。…ところが消費財は全額を消費者が負担する。…消費税を社会保障財源にすること自体が、企業が社会保障負担から逃れることを意味してしまうのだ。(P89)

財務省は、1990年代以降、一貫して財政緊縮路線を採り続けた。/その結果、何が起きたのか。/1995年には世界の18%を占めていた日本のGDPが、いまや6%を切る始末だ。…賃金は、いまや主要国中最下位になっている。…緊縮財政の恐ろしさを、政治家が誰一人理解していないから、こんなことが起きるのだ。残念ながら、日本は世界最初の「衰退途上国」になっていく。それがポスト安倍の未来だ。(P119)

○いまの政府の戦略は「死ぬまで働いて、税金と社会保険料を払い続けろ。働けなくなったら死んでしまえ」というものだ。この政策から逃れる方法は一つしかない。/それは…田舎に逃避し、そこで自給自足に近い生活を送ることだ。…ザイム真理教に献金するために、奴隷のように働き続ける人生より、貧しくても、自然に囲まれて、自由な人生を送る。そのほうがどれだけ幸せかわからないと私は思う。(P188)

○本書は…2023年の年初にかけて一気に骨格を作り上げた。その後、できあがった原稿を大手出版社数社に持ち込んだ。ところが、軒並み出版を断られたのだ。…そもそもこのテーマの本を出すこと自体ができないというのだ。…ことザイム真理教に関してだけは言論の自由がほとんどないのかもしれない。…そんななかで三五館シンシャだけが出版を引き受けてくれた。(P189)