とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論

 先の衆議院選挙で、自公が大敗し、過半数を割り込んだ。今後、日本の政治がどう進んでいくのか、多くの国民がその動向を注視している。だが、これで大きく日本の政治が変わるとは思えない。「103万円の壁」などと、大して意味もないことでガタガタしている。ならば、立憲民主党が政権に就けばよいかと言うと、野田党首から、政権交代後の展望はほとんど聞こえてこなかった。「選挙に勝って政権交代しただけでは意味がない」(P216)という文章に大きく首肯するしかない。

 これまでも泉房穂の本は2冊ほど読んできた。今のところ「政治はケンカだ!」を越える本には巡り合っていない。いやそもそも泉氏は著述家ではなく、活動家だ。最近はラジオも始めたらしい。一方で、テレビの仕事は、テレビ局からの制約がかなり強いようだ。

 本書の「おわりに」では、「救民内閣構想」について書かれている。だがそこには、政策実現可能な政権交代をいかにして行うかという構想は書かれているが、政策的には「国と市町村の二層構造にして、財源・権限・責任を地方に移譲する」という内容以上のことは書かれていない。まだ十分煮詰まっていないのかもしれない。

 だが、やはり私としては、その「救民内閣」が少しでも早く成立することを期待したい。今後、泉氏がどう動いていくのか。それを期待し、注視している。日本が崖っぷちなのは確かなことだから。

 

 

○私が明石市長として職員に言い続けたことは三つの発想の転換でした。/一つは「お上意識からの脱却」。…二つ目が「横並び主義からの脱却」。…そして一番強く言ったのが三つ目、「前例主義からの脱却」でした。…その集大成として、私は明石市長としての…最後の日…訓示でこう言いました。/「…今日、この訓示をもって、私のことはすべて忘れてください。なぜなら、前例主義からの脱却を言い続けてきた私自らが前例になど絶対になりたくないからです」(P9)

○「本人の幸せは本人にしか決められないし、本人が決めるべきもの」…弟の幸せの形の是非は、外部が決めることではない、ということ。しかし、環境が整ってこそ実現できるものであるから、その環境を整えるのが政治だということ。つまり、幸せの形を押し付けるのが政治ではなく、一人ひとりの幸せのあり方を支えるのが政治だということです。(P33)

三権分立が…嘘っぱちだと気づいているからこそ、多くの国の人々は、権力は常に暴走するという危険感とともに、監視役であるメディアの重要性を強く認識しているのだと思います。総理大臣が最高裁の裁判官を任命する権利を持っている以上、司法が行政から完全に独立できるわけがありません。最高裁は、当然のことながら時の権力者に「迎合」するしかありません。…最高裁判所など、単なるゴマすり役人集団です。…検察庁も似たようなものです。(P102)

○真面目にコツコツと働き、歯を食いしばりつつ頑張ってしまう人がこの社会には大勢いるために、政治がこれほど機能不全に陥っていても、なんとか世の中が回せてしまっている。その頑張りによって、政治家の無能ぶりが覆い隠されていると言ってもいいでしょう。/今の日本では、政治が機能していません。…政治家がなんの権限も果たさず、官僚任せの政治が続いていること。そして、官僚たちはそもそも国民のほうなど見ていないこと。(P141)

○国民を救うことが目的なのであれば、国民を救うような政策を実現させるまで頑張ろう、となりますが、与党は政権維持、野党は政権交代が目的になってしまうと、その先の展望を共有することが難しくなってしまう。/私は、今、本気で救民内閣の構想を描いています。…そのためには、選挙に勝って政権交代しただけでは意味がないのです。(P216)