とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

レジ袋有料化反対

 武田邦彦の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」以降、地球温暖化対策への疑義やほんとうの意味での環境対策はどうあるべきかといった問題に興味がある。専門家ではないのでほんとうのところ何が正しいかよくわからないが、京都議定書の政治性やIPCCの正当性など、マスコミや行政の喧伝するままに受け入れていてはいけないことはよくわかる。

 私の住む街では、ようやく一昨年位からゴミ袋の有料化が導入された。その時の理由は、ゴミ捨てマナーの徹底だったと思うが、レジ袋を利用したゴミ袋の上に指定ゴミ袋を重ねることの環境的な是非はあまり語られなかったと思う。
 今年の夏から隣接市がレジ袋の有料化を始めた。先日も外出の帰りにうっかり寄ってしまたスーパーのレジで、有料レジ袋を購入する羽目になり、もう二度と食料品は地元市以外で買うものかと思ったが、そうしたらなんと、我が市も来年度からレジ袋の有料化に取り組むそうな!

 いったい何のための有料化なのか。スーパーの経営支援以外の理由がさっぱり思いつかない。エコバッグが流行だが、わが家ではわざわざ買うことはなく、いろいろなところでいただいたエコバッグがいくつか転がっている。基本的には車の中に一つは置いておき、必要なときはそれを利用しているので、経済的な支障はないが、これのどこが環境によいのか、よくわからない。

 今さら私が書き立てるまでもなく、これまでもいろいろなところで議論され、インターネット上にも多くのHPやブログが立ち上がっている。反対派では、容リ法対策が本音の消費者転嫁施策という意見が一番説得力があるかな。
 最近の世論の傾向は、欲しいときは買えばいいから、有料化で人間の活動が環境負荷をかけていることを意識させる機会の一つとして、有料化に賛成する人が優勢な様子。でもこれって、慣らされ諦めさせられた結果じゃないの?
 東京区内ではこれまで不燃ゴミ扱いしていたレジ袋を可燃ゴミ扱いするという話もあり、なんか後出しジャンケンみたいで、これは揉めないのかしらん。もう有料化されちゃったんでいいのかな?

 「人間の活動が環境に大きな負荷をかけている」ていうのは、ある意味正しいかもしれないが、あまりに自虐的。「環境とは何か」という根本的な定義に対する共通認識が形成・同意されていると言えるのか。次世代に負荷を残さない持続可能な社会づくりに向けて、レジ袋有料化がいかに貢献するのか、筋道を立てて説明してくれないと、やっぱり納得できない。「レジ袋有料化によりビニル袋の購入が増えました。これって環境的にどうよ」的な実体験的報告ってどこかにないのかなあ。