とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

戦後史の正体

 図書館で予約をしてから手元に届くまで3ヶ月以上もかかってしまった。この間に突然の衆議院解散があり、総選挙があり、自民党が圧勝して安倍政権が成立した。本書は終戦直後の占領期から民主党野田政権までの政治を、対米追随路線と自主路線という二つの対立軸で読み解いて見せたものだ。一般的に日本の政治状況を、保守と革新、右派と左派、自由主義社会主義といった対立構図で描くことが多いが、「対米追随」と「自主」という外交路線における対立軸で読み解くと、これが非常によく日本の政治、特に55年体制自民党政治を説明できる。しかし本書で描くのは55年以降だけではない。終戦直後、正確には1845年9月2日の降伏調印の日から始まる。この日から米国の占領政策がいかに始められたか。日本の政治家たちはこれにどう対応してきたか。それが現在に続く日本の米国への姿勢、また米国の日本への態度を決定的に決めている。
 「おわりに」で日本の歴代の政治家を、「自主派」と「対米追随派」(と「一部抵抗派」)に分けて名前を連ねている。前者は重光葵を筆頭に、石橋湛山芦田均岸信介鳩山一郎佐藤栄作田中角栄福田赳夫宮沢喜一細川護熙鳩山由紀夫と続く。田中角栄鳩山由紀夫は理解できるが、岸信介佐藤栄作の名が挙げられていることが目を惹く。対する「対米追随派」には、吉田茂を筆頭に池田勇人三木武夫中曽根康弘小泉純一郎の名前が挙がっている。人数としては少ないが、いずれも長期政権であり、特に吉田茂によって日本の方針は決定的に「対米追随」にさせられてしまった。
 この中に安倍総理の名前がない。安倍晋三麻生太郎の二人は既に対米追随の方針の下、粛々とその意に沿って政権運営を行っており、筆者にとっても書く価値がないと切り捨てられている。だが、安倍政権の右翼的な方針はそのままでは必ず米国と衝突する。そこで安倍晋三が崇敬すると言われる岸信介はというと「自主派」に分類されている。旧安保条約の改定のみならず、実質的に米軍基地の治外法権を定めている行政協定(現在の地位協定)の見直しも画策したが、1960年の安保条約改定機にあたり大規模な安保反対デモが発生し、あえなくその政権は崩壊した。実は安保闘争には財界から金銭支援があり、さらにマスコミが強力に後押ししていた。そしてその背後には米国の存在があったというのだ。
 米国によって政治生命を断たれた政治家は多い。本書では鳩山一郎石橋湛山芦田均田中角栄小沢一郎片山哲細川護熙鳩山由紀夫福田康夫宮沢喜一などが挙げられている。そして彼らの陰で不審な死を遂げている人物もある。これらの記述を陰謀論として退ける論評もあるだろうが、事実として受け止め、その意味を考える態度は実に大事だと思う。
 現在の安倍政権はどういう対米外交を進めるのか。安倍首相の人物に期待する気はしないが、米国を取り巻く国際情勢と経済状況の中で、日本の外交環境も大きく変化することが予測される。尖閣諸島北方領土といった国境問題など大した問題ではない。「米国といかにつきあうか」は日本の存続に直結する重要課題であり、かつ一概に「対米追随がダメで自主路線を追求すべき」という感情論では導き出せない重要問題だ。筆者の考えをただ受け入れるのではなく、筆者の整理を踏まえ、逐一考え、判断していくことが求められる。外交に正解はないのだ。だが本書はそのための重要な論考である。戦後の日本の歴史を初めてわかりやく理解することができた。

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

●米国は軍事面、経済面で日本より圧倒的に強い国です。その現実のなかでどう生きていくか。それが日本にあたえられた大きな課題です。ひとつの生き方は、「・・・これに抵抗してもしょうがない。できるだけ米国のいうとおりにしよう。そしてそのなかで、できるだけ多くの利益を得よう」という選択です。もうひとつの生き方は、「日本には日本独自の価値がある。それは米国とかならずしもいっしょではない。力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか、それが外交だ」という考えをもつことです。私は後者の立場をとっています。(はじめにP7)
●日本が終戦記念日を8月15日とし、9月2日としていないことに、なにか意味があるのでしょうか。あります。それは9月2日を記念日とした場合、けっして「終戦」記念日とはならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。そう、日本は8月16日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。(P025)
マッカーサー時代、GHQ内部には、民主化を進めるGS(民政局)と、共産主義との対決を重視するG2(情報部門)の対立がありました。・・・占領初期にはG2は吉田首相のバックにつき、民政局は片山首相、芦田首相のバックにつきました。G2対GSの戦いは「昭電事件」によってG2が勝利し、決着がつきます。・・・この昭電事件によって、リベラル派の芦田政権が倒れました。(P079)
●ダレスが日本との講和条約を結ぶにあたってもっとも重要な条件とした、日本国内に「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」という米国の方針は、その後どうなったでしょうか。答えは「いまでも変わっていない」です。その後、日本側から「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ことを変えようとする動きが出ると、そうした動きは必ずつぶされてきたのです。(P142)
●「政治環境から見て、これまでより規制緩和がしやすくなった」。・・・だからあとは抵抗をつづける官僚機構をつぶせば、米国の思うようになるというのが、アマコストの考えです。こうしたアマコストの考えに応じるかのように、日本国内では官僚たたきが激しくなりました。1998年に起こった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」といわれる大蔵省接待汚職事件はその典型でした。・・・わずかに残っていたシンクタンクとしての官僚機構を崩壊させられた日本からは、国家戦略を考える組織が完全に消滅してしまったのです。(P326)