とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

蹴る女

 タイトルがよくない。これでは空手やテコンドーの選手の話かと思ってしまう。副題は「なでしこジャパンのリアル」。これもイマイチだが、「なでしこジャパン」とはっきりと書かれているだけまだマシ。今やなでしこジャパンの不動のボランチ阪口夢穂を中心に、日本女子代表選手たちの軌跡と内面を綴ったドキュメンタリーである。
 時期は2007年北京女子W杯後から2013年初めまで。2013年の出来事をあとがきに付け加え、2014年1月に発行されている。今年はいよいよ連覇がかかる女子W杯がカナダで開催される。本書に登場するメンバーは現在でもほとんどなでしこジャパンの主軸メンバーだ。もっとも熊谷や鮫島、大野、大儀見などはほとんど登場しない。基本的に阪口夢穂を通して見た「なでしこジャパンのリアル」。
 冒頭、阪口が高校時代、口元にピアスを付けていたことが明らかにされる。えっ、そんな選手だったの? プレー中の能面のように真剣な表情からは彼女のそんな一面は窺われない。しっかりしているという感じを持っていたが、確かにインタビューではそれほど饒舌でもなく、何を考えているかわからない。真実は「何も考えていない!?」 感性の人! そんな彼女だが、アメリカ修行時代、前十字靱帯手術でひどい目に会っていたなんて全く知らなかった。その膝でよくあのプレーができるものだ。本書は彼女の成長物語でもある。
 また本書では阪口以外にも、池田(旧姓磯崎)や加藤(現姓酒井)、山郷、下小鶴などのベテラン勢が重要な役割を果たしている。中でも池田が結婚後、夫婦でのTV取材に応じてメディアの偏った放送を甘受していることは、女子サッカー界への思いとして胸を打つ。その他にも、山郷や下小鶴などベテラン選手たちの代表選出や現役続行に対する思い、澤や宮間のアメリカでの苦闘、佐々木監督の就任経緯や監督評など、335ページというページ数以上に多くの話題が盛り込まれており、読み応えがある。多くの「なでしこ」ものの中でも出色の内容だ。
 今年の女子W杯がどんな結果になるのか、まだわからないが、終わった後でまた、なでしこブームは起きるのだろうか。少なくとも大会前には多くの「なでしこ」ものが出版されるだろう。だが、それらの中に置いてもなお本書は十分読んでおく価値がある。現在に続くなでしこジャパンの過去を知るためにも、必読書と言える。そして大会後、新たななでしこジャパンの物語を読んでみたいと思う。河崎氏はどんなドキュメンタリーを読ませてくれるだろうか。大いに期待したい。

蹴る女 なでしこジャパンのリアル

蹴る女 なでしこジャパンのリアル

●その頃の阪口は、唇の左下にピアスをつけて高校に通っていた。・・・中型二輪免許を取ったのは16歳になってすぐのことだ。教習所へ通っている間はまず最優先で実技講習を受け、それでも時間が空いた時に学校の授業へ顔を出した。/不良、とか問題児、とかいうのとも違う。彼女は日本中どこにでもいる、今どきのふわふわうわついた女子高生のひとりだった。(P12)
●池田はこう結んだ。「せっかく中国まで来たんだから。今日のこの試合で最後になるのはいやだよ」/そして彼女は、加藤にスピーチを促した。試合の時には絶えず声を出して周囲に指示を飛ばし続ける加藤だが、改まって人前で話すことは苦手だった。・・・「みんな……ひとりじゃないから」・・・「澤、言っとくことあるでしょう? 何か言って」・・・「私は、試合がどんな展開になろうと終了の笛が鳴るまで走り続けるし、決して諦めないから。自分が持ってる力を全部出して走り切る。だからみんな、もし疲れて苦しくなったら、私の背中を見て」(P96)
●アメリカでの手術によって再建された腱は、本来そうあるべき向きとは逆の角度でつけられていたのだ。・・・それが前十字靱帯再建における日米間の考え方や慣習の違いといったレベルの問題ではなく、単なる技術上の不手際だった。彼女はアメリカで、ひどい手術を受けていたのである。(P179)
●澤は特段ドリブルがうまかったり、トリッキーなフェイントを持っていたり、人並み外れて足が速かったりするわけではない。しかし、コンパクトな陣形で全員が攻守に連動するなでしこジャパンのようなチームの一員としてプレーすると、彼女は持てるサッカー知性と正確な技術を最大限に生かし、抜群の存在感を発揮する。(P229)
●ドイツから帰って、岡田さんに『おまえは昔からいろんな指導者のところに学びに来てたからなあ。コツコツやってきたことが結果に出たんだよ』って言葉をかけられた時は、本当にうれしかった」・・・佐々木の指導手腕の要諦は、決して女子選手の心を掴むうまさや気さくな人柄にあるのではない。一にかかって、世界の女子サッカーにおける屈指の戦術家であり、選手の適性を見抜く鋭い眼力の持ち主であることなのだ。(P283)