日本人とは何だろう? 昔から日本に住んでいる人々。 昔とは? 江戸時代以前? 平安以前? 弥生時代? 縄文時代? 本書の後半に書かれているが、弥生時代以降の稲作や金属器を使用する新しい文化は大陸からの渡来人がもたらした。彼らは単に文化を伝えただけでなく、実際に日本に渡って住み、先住民である縄文人と混血し、今につながる日本人を作ってきた。
だが本書がテーマとするのは縄文人はどこから来たのかということである。いや、縄文時代の前、旧石器時代の後期、3万8000年位も前に、ホモ・サピエンスが日本にやってきた。それまでのことはわからない。たとえそれ以前に原人や旧人が住んでいたとしても、それは我々現代人につながるホモ・サピエンスではない。ホモ・サピエンスはアフリカに生まれ、世界に広がって、現在の人類の祖先となった。だから現在の日本人につながるホモ・サピエンスは約3万8000年前にアフリカからの旅の果てに日本へやってきたのだ。
どのルートで? 筆者はまず、旅するホモ・サピエンスはヒマラヤ山脈の北と南に分かれて東に向かっていったと言う。そして二手に分かれたホモ・サピエンスたちはアジアの東で再び合流し、対馬を渡って日本に渡ってきた。さらに、台湾から沖縄列島を辿る沖縄ルート、北から北海道へ渡った北海道ルートもあった。これらのことは、単に遺跡から発掘される人骨や石器の形状などだけでなく、DNA鑑定を駆使することで解明されている。ホモ・サピエンスと古代型人類との混血すらわかってしまう。今もまさに人類学・考古学は進化しつつあるのだ。
ホモ・サピエンスたちにとって80㎞の海は、そして黒潮はどんなに大変な障壁だったか。それを渡ってきた人類は、古代においてなおどれほど勇敢な航海者であったか。筆者たちは実際に海を渡って実証実験するプロジェクト「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を始めた。7月12日に航海を始めるという。その成果を期待したい。日本の人類学者たちはパワフルだ。
○今ではホモ・サピエンスのアフリカ起源説は否定しようのない強固な仮説となっているが、・・・2010年に発表された解析結果によれば、ホモ・サピエンスは古代型人類と完全に置換したわけではなく、彼らと若干の混血をしていた。(P39)
○ヤナRHS遺跡・・・が示すのはなんと3万3000年前である。祖先たちは、これほど古い時期からシベリアの最も奥まで到達していたのである。・・・寒さのピークを通り越し温暖になった1万5000年前以降には、彼らのさらなるシベリア拡散、そしてその東にあるアラスカを経由したアメリカ大陸への進出が始まった。(P99)
○全国には旧石器時代の遺跡が1万箇所以上ある。・・・たいへん面白くかつ重要なのは、これらの遺跡の年代が3万8000年前以降に集中している、という事実だ。・・・これはきっと、ホモ・サピエンスが列島に渡来したシグナルなのだろう。古代型人類の先住者がいなかったか、いても少数だった日本列島に、3万8000年前頃、ホモ・サピエンスが渡ってきて急拡大したのではないだろうか……。(P114)
○南ルートと北ルートの集団は、互いに出会ったのだ! 両者の祖先がアフリカを離れ、4万8000前頃にヒマラヤの北と南の二手に分かれてからおおよそ1万年後に、東アジアのどこかで。(P188)
○遺跡から出土する人骨の形態分析や遺伝学の研究が進んだことにより・・・今ではトライ説が正しいという認識に落ち着いている。/つまり弥生時代以降に、縄文人の系譜を受け継ぐ在来系の人々と、大陸からの渡来系の人々が様々に混血した結果として、歴史時代の日本人が形成されたというわけだ。(P197)
○私は、より多くの一般市民が、人類史を学ぶことを通じて“民族”というものが、政治や言語そして人々の認識といったもので人工的に規定されている仮の線引きに過ぎないということを理解することが重要だと思う。それによって優劣という意識が薄まり、他の人々を尊重する空気が国際的に醸成されることを願っている。(P209)