とんま天狗は雲の上

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9.11後の現代史☆

 「9.11後の現代史」とはすなわち「中東の現代史」である。これまでもいくつか中東の現状について解説する類の本を読んだことはあるが、本書が最もわかりやすかった。視座も中立的で、シリアの内紛の構造、イラクの立場、アメリカの外交方針など、現在の中東情勢に至る経緯についてきちんと説明してくれる。

 冒頭で書かれているが、中東が現在のような宗派対立、テロの頻発、紛争が絶えまない状況になったのは、実は2003年のイラク戦争以降のことに過ぎない。それまではシーア派スンニ派は融和していたし、テロによる死亡者もほとんどいなかった。考えてみれば、私が就職した40年近く前、大学の同期の何人かは中東で海外プラントの建設等を行う企業へ就職した。その頃、中東が危ないという噂はほとんど聞かなかった。当時の中東紛争といえば、イスラエルと他の中東諸国との抗争だった。しかし今やパレスチナ問題は、シリア内戦やクルド問題などの陰にすっかり隠れている。トランプがエルサレムを首都と認定したことなども、まるで「イスラエルのことも忘れないでくれ」と言っているようだ。

 多くの宗派や集団が入り乱れる中で、排外的な状況が高まっている。終章で「誰が他者かわからないのならば、『われわれ』と『他者』の違いを明確にする必要はないのではないか」(P215)と書いているが、なかなかそうもいかないのが現実なんだろう。「日本も例外ではない」(P214)。ヘイト主義者が跋扈する状況を見ると、次は東アジアが中東のような状況にならないとも限らない。中東に平和をもたらすにはどうすればいいのだろうか。「オリエント世界はなぜ崩壊したか」でも書かれていた通り、今こそイスラーム本来の「寛容」の精神に立ち返ることが望まれる。

 

9.11後の現代史 (講談社現代新書)
 

 

○「カリフ」とは、預言者ムハンマドの正統な後継者を意味し、「カリフ制」とは形式的には1924年に廃止するまで続いたイスラーム国家システムの根幹である。・・・西欧的近代化の結果、独裁や弾圧や貧富格差の拡大を生んだのであれば、自分たちに合った別の道を目指したほうがいいのではないか、と考える人もいる。「カリフ国の再々」は、そうしたオルタナティブのひとつとして、思想家たちの頭のどこかにあった。・・・ISは・・・「カリフ国」という自分たちなりの「国家」を提示した点が、衝撃的だった。(P28)

○ISだろうとなかろうと、暴力に何か正統性や大義、理由をつけてくれる集団が世界のどこかにあれば、それに連動して自らの暴力衝動を発揮する類のテロ・・・イスラームが暴力化するのではなく、暴力性を抱えた個人や集団が、それを正当化するためにイスラームを利用している。・・・そして、その暴力の根底には・・・欧米社会における移民出身のイスラーム教徒に対する差別がある。(P43)

イラク戦争後、アメリカは外国への介入に、「羹に懲りて膾を吹く」状態になってしまった。しかし西欧諸国では」、リビアでの「保護する責任」を掲げた軍事介入の(一見した)成功で、再び「人道的介入」の意義が見直されることにもなった。・・・そうしたところに、シリア内戦である。上のような経緯を踏まえて、国際社会は・・・どっちつかずとなった。・・・本来の目的がなんだかわからない、中途半端な介入姿勢が生じた。それがシリア内戦の悲劇である。(P105)

○「春」を経験したのちのアラブ諸国は、いずれも「春」以前よりもさらに厳しい権威主義体制、警察国家、暴力依存へと傾斜しているのは事実だ。・・・「春」が起きたことでよくも悪くも人々が「自由」を経験したことは、否定しがたい大変化だったといえよう。・・・「春」の後に訪れた「冬」の最大の問題は、「見えてしまったこと」にひたすら蓋をしようとする者と、一瞬開いた壁の穴から見えた光景を実現するためにどんな手段でも覚悟する者との、歩み寄ることのできない分極化である。(P115)

○ふたつの宗派が国内に存在する国や地域では、早くから両派の習慣や教義の違いについて、お互い知り合い、理解しあう土壌があった。両派間の結婚も当たり前のようにあったし、同じ部族が定住した場所によって宗派で別れることもあった。・・・宗派の違いが自動的に対立や排除につながるわけではない、ということを、両方の宗派が住むイラクレバノンやバハレーンの人々は知っている。(P124)