とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

30センチの冒険

 友人に「となり町戦争」を勧められて読んで以来、三崎亜紀は気にはなる作家の一人ではある。その後、「失われた町」を読み、「廃墟建築士」を読んだ。そしてそれ以来、読むのをやめた。正直、SF的な設定は面白いが、それ以上の深みを感じなかった。それでも、公務員も退職して作家専業となっても以降も順調に執筆を重ねている。そしてある日、中日新聞で本書を称賛する書評を目にした。久しぶりに三崎亜紀を読むことにした。

 ファンタジーである。いかにも三崎亜紀らしい。三崎亜紀らしさは変わっていない。現実の世界からもう一つの世界へ行ってしまう。そこは砂漠の世界。距離の秩序が乱れた世界。時空を超える30センチのものさし。ホバリングする本。統治者に見捨てられた世界。世界の秩序を回復する物語。「エピローグには、とりわけ胸が熱くなった」と書評氏は書くけれど、そうかな? ある意味、辻褄合わせな気もするし、ユーリとエナの最後までは語られない。

 「廃墟建築士」の中の「図書館」という短編に既に空中飛翔する本が描かれている。でもそれってそれほど魅力的だろうか。ユーリが持つ青い本、と同じ装丁がされている。本好き、本オタクであることをカミングアウトし、自慢しているように見える。でもやはり練り切れていないように感じる。「すべての願いが叶う『マ』など、この世界には存在しない」と施政者が言う場面がある。「マ」とは現代で言えば神のようなものか。でも統治者はいる。その点でも何が言いたいのかわからなくなる。

 三崎亜紀という作家を忘れないだろうが、次作を期待したいという程でもない。確かに「となり町戦争」からは進化している。が、書評氏が書くほどの水準にはまだない。いつか、うーんと唸らせるような作品が書かれることを期待したい。

 

30センチの冒険

30センチの冒険

 

 

○「お前、どうして、こっちの世界に入り込んじまったと思う?」……「心のゆらぎだ」……「自分がいる世界に、疑問を持った奴。ここは自分の居場所じゃないと思っちまった奴。本当にいるべき場所が見つからない奴。そんな奴が、あのバスに乗っちまう。そして、別の世界に入り込んでしまうんだ」(P45)

○「道は、そこにあるだけでは道じゃない。自分が道だってことを記憶し、継承していく。それで初めて、道になるんですよ」……「道脈は、その場所にあった古い道の記憶を受け継ぐんです。人が、親から子へと、技術や知識を伝承していくみたいにね」/「はるかな昔は、砂漠などなく、人々の暮らす豊かな大地が広がっていた。人々はこの世界を自由に行き来していたそうだ。道脈は、そんな太古の昔の記憶を伝えているが、人はその記憶を受け継いでいない。(P148)

○僕は子どもの頃、ある特殊な「力」を持っていた。/それは、本の気持ちがわかるというものだ。……本は僕の一番の友達で、何でも相談できる相手だった。僕も、破れて痛がっている本があれば慰めてあげたし、違う書架に紛れ込んで悲しんでいる本があれば、本来の居場所に戻してあげたんだ。/その力も、大きくなるにつれ薄れ、僕はただの、本好きなおとなしい少年になった。それでも本は常に僕の身近にあり、いつしか、……図書館司書という仕事を選んだのだ。(P165)

○この世界の始まりから現在、そして未来まで。この地の人々が求め続けた真理や謎を解き明かそうとしてきた探求心。試行錯誤の結果、この世界の人々を進化させてきた思考…。そのすべてが、この閉架書庫には満ち満ちている。……何万年かかろうと、「彼ら」の中に蓄えられた知識のすべてを学びつくすことなどできない。海の底で感じる水圧のような、圧倒的な「知の圧力」が、奥へと踏み入ることを躊躇させた。(P257)

○「すべての願いが叶う『マ』など、この世界には存在しない……統治者に見捨てられた世界で、『マ』という捏造された神話が、人々の最後の希望をつなぎとめてくれていたのも確かだ。……もしかすると、『マ』とは、この世界を見捨てた統治者が、置き土産として人間に与えた試練のようなものなのかもしれんな」……「マ」は希望であると同時に、人々を惑わす劇薬でもある。(P324)