とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

上が上なら、下は下なりに

 「桜を見る会」に係る様々な疑惑は、結局このまま幕が引かれてしまうのだろうか。安倍首相を始めとする現政権下の人々は、国会を終え、「逃げ切った」と嘯き、この後はクリスマスや年末年始のバカ騒ぎを経て、モリカケ問題と同様、問題も沈静化し、忘れられていくと踏んでいるのだろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。たぶん2ヶ月後位にはその結果が出ていることだろう。私の中でも「たぶん沈静化してしまうのではないか」という悲観的な予感が勝っている。

 しかし、モリカケ事件、サクラゲート事件、そして安倍政権が起こしてきたその他の不誠実な対応(公文書の廃棄、国会や記者会見等での脅しや開き直り、牽強付会閣議決定など)は、日本国民一般における社会に対する倫理観や道徳観、さらには人生観などに少なからず影響を与えていく。今後少しずつ時間をかけて、これまで積み上げられてきた日本社会の基部が毀損し、変容していく。そして、壊され、踏み付けられ、無視された下の者たちは心の中できっとこう呟く。「上が上なら、下は下なりに」。

 別に復讐しようという話ではない。上の者が自己利益ばかりを追求し、下の者に目もくれないのであれば、下の者は下の者なりに自らの身を守り、自己利益の確保を図ろうとするしかなくなる、ということだ。

 11月になっても景気回復の動きは鈍いと報道されている。それでも12月になって、小売商戦の場は師走らしい活況を取り戻してきたように聞いている。でも、話はそんな小さな景気の変動ということではない。気分として、「今、散財したら、それを取り戻すのは厳しい」「将来は暗い。不安だ」「自分の身は自分で守らなくては」「そのためには2000万円とは言わないまでも、ある程度の蓄財は必要だ」。そんな気持ちが心の端から離れない。

 「下の者は下なりに、判断し、行動しなくては」。そう思う。だから、年末年始くらいは多少の散財もするが、2月になれば財布のひもは再び固くなる。上の者の言葉は「上の空」で聞くだろう。下には下のやり方があり、下には下の楽しみがある。既に日本社会は上下に深く分断され始めている。ちなみに、年収1400万円以下の世帯は低所得層だと言う。アメリカの話ではない。「世帯年収1400万円」で検索すると、日本においてもそこが上下の分断線だということに気が付く。でも、ないものはない。下は下なりの生き方を模索しよう。