とんま天狗は雲の上

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医療崩壊の始まり? ― 自宅待機の本当の意味

 今朝、新聞を開いて、一面の大見出しに驚いた。「名古屋の70代女性 重篤 新型肺炎 4人部屋に入院」。今朝の中日新聞だが、昨日は首相会見などもあり、TVもそれなりに見ていたつもりだが、このニュースには気付かなかった。この記事の最も恐ろしいことは、この患者が南生協病院に入院していたことだ。南生協病院といえば、私もかつて見学に行ったことがあるが、地域の主要な総合病院として設備等もすばらしく、また地域密着の医療で多くの信頼を得てきた病院だ。しかし、新型肺炎患者の発生により、当面、外来と救急外来を休止するという。地域の医療体制にとって大きな毀損であることは間違いない。

 しかも記事によれば、当患者に対する病院の対応がけっしてまずかったわけではなく、一度は新型肺炎の検査について打診したが、いったん断られ、重症化した翌日に再度、市の保健センターへ連絡して検査を行い、感染が確認された。それまで4人部屋に入院しており、肺炎患者については個室対応することを決めたのは、政府から新型肺炎に関する基本方針が出された25日だという。

 病院側の決定を攻める気はしない。たぶん日本の多くの病院で、肺炎患者が多人数病室で入院しているのだろう。昨日視たテレビでは、新型肺炎感染者がやはり4人部屋に入院しており、陰性になってもそのまま据え置かれているので、隣のベッドで咳き込む陽性患者からの再度の感染が怖い、といったレポートを報道していた。新型肺炎患者でさえこうした状況であれば、一般の肺炎患者を全員個室対応ということはとてもできないことだろう。

 新型肺炎に関する基本方針が発表されたのが25日。しかしその内容は、無用な外出は控え、日頃からうがい・手洗いを徹底し、たとえ風邪らしき症状が出ても、軽いうちは自宅待機しろという内容だった。そしてTVなどであまりにうがい・手洗いについて報道するものだから、感染者はこうした対応をしっかり取らなかった結果だとして、つまり新型肺炎感染は自己責任だとする方針なのかと思った。

 その後、Jリーグが3月15日までの延期を決定すると、自己判断に任せてきたイベント開催について、翌日26日、政府はイベントの自粛要請を行った。そして27日には突然の小中学校休校の要請。さらに、急な要請に対して批判が殺到すると、翌日には「あくまで命令ではなく要請であり、地域の事情等に応じて決定されたい」と言う。そして昨日の首相会見では、国民の協力を求めるとともに、保健所を通さない検査の実施や保険適用などについて言及した。

 検査については、社会学者の古市憲寿が「新型コロナ検査をなんで受けたがるの?」(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200226-00000189-spnannex-ent)などと発言しているが、自発的に受けたいという話ではなく、「感染の拡大を防ぐためには、疑いのある人は本人が嫌がっても検査をしなければいけない」ということではないかと批判的に感じていた。しかし、昨日の首相会見を見ても、未だに政府の方針は積極的検査の方向にはなっていない。昨日の報道ステーションによれば、保健所は通す必要はなくなっても、帰国者・接触者センター(未だにこの名称!)は通さなくてはいけないのだそうだ。ということは、これはひょっとして検査実施に対してこれまで以上に直接的にコントロールすることにならないか。保険適用後の民間検査機関の活用も、検査発注できる病院は現在の感染症指定医療機関しばりであることに変更はないのだそうだ。

 昨日の会見でも安倍首相は「あと1~2週間が瀬戸際」という言葉を再三述べていた。基本方針が出された26日から数えれば、あと5~10日ではないかと思うが、実際は1~2ヶ月ではないのか。GWまでは難しいかもしれない。そして1~2週間後、感染の収束はどうやって判断するのか。検査を重ねるしかないではないか。

 しかしこうして検査を抑えている間に、新型肺炎と診断されない肺炎患者が一般病院に入院し、院内感染を進め、多くの一般病院が医療停止となっていく。数日前に、岡田晴恵教授が日本に4000台しかない人工呼吸器が不足する事態を指摘し、医療崩壊を訴えていたが、新型肺炎への対応ができないのではなく、それ以外の病気の患者への対応もできなくなっていく。より深刻な医療崩壊がやってくる。今朝の南生協病院での感染者のニュースはそんな恐怖を感じさせる。今、一般病院こそが恐ろしい。自宅待機の本当の意味はそこにあるのだろうか。