とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「現実」と「情報」

 朝、目が覚める。最近はなぜか夢を見ていることが多い。目覚めた時に、「ああ、ここは現実の世界だ」と安堵する。そしてテレビをつける。新型肺炎による感染者がまた発生したとアナウンサーが告げる。政府による新たな対策。専門家による様々な提言や意見。コメンテーターによる感想。でもチャンネルを変えると、そこではただ笑いが溢れている。現実離れしたドラマが放映されている。テレビショッピングの甘ったるい声が流れる。そこは現実なのか。

 私の周りではまだ新型肺炎の感染者が出ていない。友人や知人で感染者はいない。外出しても、太陽も空気も、これまでと何も変わらない。職場に行けばみんないつもと変わらず、机に向かって仕事をしている。でも交わす会話は新型肺炎のこと。新型コロナウイルスへの対策について議論する。どこに新型コロナウイルスはいるのか。それは見えない。見ないけれど現実だという。本当か。

 見えない。何も変わらない。でも新型コロナウイルスが忍び寄ろうとしている、とテレビが伝える。パソコンを開けば、新型肺炎に対する対策や情勢を伝えるブログやサイトで溢れている。これは本当の世界か。新型肺炎新型コロナウイルスに関する情報は真実なのか。まさかフェイクニュースじゃないだろうな。

 みんなが寄ってたかって、私を騙しているんじゃないだろうな。職場の同僚も、家族も、みんな新型肺炎の感染が拡大していると言う。みんな信じている。でも誰一人として、新型肺炎患者に会った人はいない。我々はただ、テレビや新聞等で報じられる情報を正しいと、真実だと鵜呑みにして、震えている。見て、聞いて、触って、五感で感じる現実ではなく、テレビや新聞等の、謂わば、「情報」を頼りに行動し、怯え、考えている。

 「情報」は正しいのか。情報ではなく、実感で動くべきではないのか。現実に生きるとはそういうことではないのか。「現実」とは何か。情報からもたらされるものも「現実」なのか。これは夢ではないのか。朝起きたら、別の現実に迷い込んでしまったわけではないのか。今、私は、「現実」と「情報」の狭間に立って、何を信じて、どう行動したらいいのか、わからない。

 果たして、我々を導く「真実の神」はいるのだろうか。神になりたい人と思っている人はいるかもしれない。そんなエセ神様には騙されないぞ。私は真実に生きたいのだ。