とんま天狗は雲の上

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コロナショックが変える社会環境

 「リーマン対コロナ」。このタイトルの論考が、22日(日)付け中日新聞の「視座」に掲載されていた(ネットでは読むことができないようだ)。書いたのは同志社大教授の浜矩子。私の中ではアベノミクスに批判的な経済学者といった位置付けだが、このコラムの中で浜氏は、リーマン・ショックと今回のコロナショックを比較して、「リーマン・ショックは金融恐慌だった。金融システム内部に生じたひずみが極限に達し…実体経済にも強い縮減圧力が加わった」のに対して、「コロナショック…の衝撃の波紋は外からやって来て、経済活動をのみ込んだ」とした上で、「コロナショックは一過性だ。必ず過ぎ去る。…それに引き換え、リーマン・ショックはその後の経済的風景を変えた。金融環境を一変させた。…労働環境も一変させた」等々と書いている。

 読んだ時は「なるほどね。確かにコロナショックは一過性だ」と思った。しかしその後、大企業に勤める友人と話していたら、「最近は原則テレワーク勤務となり、テレビ会議もたびたび行われている」ということを聞いた。そして、テレビ会議にもだいぶ習熟してきた結果、「要点をかいつまんで話すようになり、顔を会わせての会議よりも効率的に議論が進むようになった」とテレビ会議の長所を話してくれた。

 また、「最近はめっきり新幹線の乗客が減ったが、テレビ会議で用が足りれば、今後は東京出張も格段に減るのではないか」という話をしていた。なるほど。既に何人もの評論家などが、「コロナウイルス対策としてのテレワークの拡大が労働環境を変えるのではないか」という指摘をしているが、身近な人から実体験としての話を聞くと、現実的な話として実感する。これまでも、メールの普及が執務環境を大きく変えたが、テレビ会議の普及もまた、無駄な出張を大きく減らす契機となるだろう。

 テレビ会議と言えば、先日16日にG7首脳テレビ会議が開催された。G7と言えば、2016年に伊勢志摩サミットが仰々しい警戒の下で開催されたことが未だに思い出されるが、今後はテレビ会議という形が通常になっていくのだろうか。また、学校の休校を受けて、オンライン教育にも注目が集まっている。今週末からの首都圏の外出自粛の要請は、仕事による外出までも対象とするものではないが、私生活での行動制限はネット利用をいっそう促進するだろう。

 とすれば、コロナショックは一過性ではないかもしれない。コロナウイルスの流行がいつまで続くかわからないが、このまま数ヶ月以上も続くようだと、コロナショックが収束した後、私たちの暮らし方は大きく変化している可能性もある。東日本大震災が発生した後、「社会は大きな転換期を迎えた」という声が大きかったが、コロナウイルスの影響力はその比でなく格段に大きいかもしれない。私たちは今、社会が変化する端境期にあるのかもしれない。