とんま天狗は雲の上

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昭恵夫人に「私人としての規範」を期待したいのだが・・・

 安倍首相の妻、昭恵氏が、東京都から花見等の宴会の自粛要請が出ている中、芸能人らと花見会を楽しんでいたという報道について、国会でその是非を問われた安倍首相は「レスランの敷地内の桜の下で撮ったものである」という趣旨の答弁を行い、東京都の要請に対しては問題のない行動だという認識を示した。

 確かに東京都の要請の意図は、花見の時期を迎え、野外での宴会を自粛することを要請するものであり、一義的には首相の言うこともあながち間違ってはいない。都の要請以降、新型コロナウイルスの都内での感染はいっそう深刻になり、週末には不要不急の外出の自粛を要請する、都市封鎖(ロックダウン)ギリギリの状況になった。こうしたタイミングで週刊誌に取り上げられたのは、やや不運な面もあったとは思う。

 先月末の安倍首相の休校要請以降、社会に一気に緊張感が走り、居酒屋などの利用者も激減している。レストランも満席になることは少ない状況。首相の過剰・過敏な緊急要請が想定以上の経済の収縮を起こしている中で、昭恵夫人の行動は、「少人数でのレストラン利用は問題ない」とアピールし、少しでも経済を活性化させようという意図でもあったのか。そうであれば、積極的にメディアを通じて報じればいいのであって、実際はそこまでの考えもなしに個人的に楽しんだ、ということなのだろう。

 昭恵夫人については、安倍首相から「妻は私人である」という答弁がされているが、たとえ私人であっても何をしてもいいということではないだろう。いや逆に「私人としての首相夫人はどうあるべきか」という問いが発せられなければいけない。確かに、私人としての首相夫人には、何ら公務としての責務等はない。しかし「私人としてどう行動すべきか」という視点では常に注目されざるを得ない存在だということを自覚すべきだ。すなわち、「首相夫人=ファーストレディには、『私人としての規範』を示すことが求められる」ということだ。

 「国民の規範」ということでは、平成天皇・皇后はそのことをよく理解し行動しておられた。美智子さまの上品で控えめながら知性に富んだ言動は、多くの女性にとって憧れでもあり、規範でもあった。現在の皇后や皇族女子にもそうした期待があるからこそ、眞子さまの結婚問題に対してあれほどの騒ぎにもなるのだ。

 昭恵夫人が活発で行動的なのはかまわない。それは50代女性の規範として間違ってはいない。しかし今回の花見はどうだろうか。そもそも芸能人と共にという点で庶民の規範とはなりえないし、敷地内の桜の木があるレストランという点でも庶民には手が届かない。羨望と反感の気持ちを引き起こすだけ。そもそも庶民がどういう暮らしをしているかがわからないのだろう。これでは現代のマリー・アントワネットと言われても仕方がない。「問題ない」という安倍首相もたぶん庶民の暮らしが本当のところではわかっていないのではないか。これでは国民に「私人としての規範」を示すことなどできない。ファーストレディとしては大失格だ。