とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

大学講義にもハーフタイムが欲しい。いや、ゲームプランの問題だ。

 水曜日に「初めての大学講義は大変!」を投稿した後、大学へ行って3回目の講義をした。が、昨日のフロンターレ戦以上に完敗。今回は内容的には十分な用意をしていたにも関わらず、結局、75分程度で終わってしまった。早く終わって学生は喜んだかもしれないが、私として精神的なショックの方が大きい。

 初めのうちこそ、配布資料をベースに順次説明等をしていったが、後半になるにつれ、自分で用意したにも関わらず、どう伝えていいのか分からなくなって、資料に書かれた文章をただ読むだけになっていく。言葉は読めるけど、そこから何も発想が浮かばない。「これはこういう意味です」とか、「関連して、こういう考え方もあります」とか、記述された内容以外の言葉で説明をすべきだとは思うが、何も浮かばないので、読んで、終わる。さらには読むことすらめんどうくさくなる。「資料にあるとおり、いろいろあります」と飛ばしてしまう。時間が余るとわかった後も、今さら戻って説明することもできず、「以上で用意した内容は終わったので、少し早いけど、今日の講義は終わり」と言って、終えてしまった。

 思うに、90分間も集中力が続かない。私の知的スタミナは60分位しかもたないようだ。「サッカーと同様、大学の講義にもハーフタイムがほしい」とFacebookに書いたら、「飲水タイムも必要じゃないの」とコメントをもらった。ホントそのとおり。もっとも、休めばすぐに回復する頭脳ならいいけど。アディショナルタイムで講義時間を延長というわけにもいかない。また、学生は60人以上もいて、静かに話を聴いているんだけど、反応がない。おしゃべりされても困るけど、静かに聴かれているのもなかなか辛い。これはまるで無観客試合のようだ。そう、私は今、大学というピッチの上で、講義というプレーをしている。そう言えば中学生の頃、後半になると途端に運動量が落ちて、交代させられていた。

 この状況を料理に例えると、「素材は用意した」、「完成イメージもある」、しかし「調理法がしっかりわかっていない」という感じ。娘に話したら「レシピをしっかり用意しなくっちゃ」と言われた。まさにそのとおり。そこで次回の講義に向けては、おおまかなタイムスケジュールを作り、単元に応じて、読み原稿メモを作成した。次回は何とかなるだろうか。コンセプトは大丈夫。問題はゲームプランだ。まだ3回。全15回はなかなかの長丁場だ。試行錯誤の日々が続く。