とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

家事は誰がするか?

 妻が訪問リハビリを受けるにあたり、三月に1回、本人や家族とともにリハビリ方針等を定めた「訪問看護計画書」を作成する。先日の訪問の際に「今後の目標をどうしましょうか」と言われ、妻が「家事をできるようになりたい」と言ったら、「本当にやりたいの?」と言われた。そのリハビリスタッフの方は妻が退院してからずうっと担当しているので、すっかり懇意になっているからこそ発言だが、「だって病気をする前だって、あまり家事はやってなかったんでしょ」と言われ、そのとおりだけど、でも「家事を誰がやるのか」ということについて、一般常識と私の認識が何となく違うことに気付いた。

 訪問リハビリのスタッフの家庭では、家事は基本的に同居している母親がしており、「でも、食器を洗うのは私の担当」と言う。ご主人はほとんど家事はやっていないみたい。退院時にも感じたことだが、まだまだ日本の一般家庭では、「夫が仕事、妻が家事」が当然の価値観となっている。妻が専業主婦であればなおさらだ。だが、わが家では、妻が病気がちなこともあり、「家事はやれる方がやる」ことにしている。

 もちろん、私が仕事を持っていた時は、帰りが遅いので、夕食の準備や掃除・洗濯は妻がしていた。でも、食事後、妻がなかなか食器の片付けを始めない時は、私がさっさと片付けてしまうことはあったし、風呂の準備ができていなければ私がやっていた。そうしたことが「妻を甘やかせることになる」と批判する声があるかもしれないが、我慢できない方が負け。「勝ち負け」で表現すること自体が従来の価値観に毒されているのかもしれないが、身体が動く側が、我慢せずに家事をこなせば、精神的にもいいし、それで多少疲れても、健康にはいいのではないか。

 もっともそうした習慣が、妻のくも膜下出血の一因かもしれない。訪問リハビリのスタッフも、なるべく体を動かすことを妻に進めるのだが、家事を調理や掃除、洗濯などに切り分けて、「これは誰の担当、こちらは誰の担当」と分担を決めるのは何か違うような気がする。やれる方がやる。でも、高齢者の健康や認知症予防を考えると、介護の際に「介護者が何でもやってしまうのはよくない」という話も聞く。そう考えると、あえて家事の担当を決めておくのも意味があるのかもしれない。でもそれは「家事の分担」とは違う話のような気がする。

 家事は誰がするか? それは、家族でする。それが少なくともわが家では当たり前のルールだ。20代・30代夫婦の家庭ではどうなんだろうか。意外に旧弊に囚われているような気もするのだが。