「熱源」では明治初期のアイヌの人々が、「海神の子」では鄭成功が描かれた。いずれも実在した人物を元に書かれたフィクションだ。そして本書の主人公は梅谷庄吉。香港で写真館を営み、孫文を金銭面で支えた商人だ。もちろんそんな人物がいたことすら知らなかった。
孫文といえば辛亥革命だが、それまでに10回も蜂起に失敗し、渡米中に孫文の与り知らぬところで、暴発的に起きたということも知らなかった。袁世凱や蒋介石は知っていても、辛亥革命以降、どういう変遷を辿って日中戦争に至ったか。また孫文の関わりなどもこの作品を読んで初めて理解ができた。そして孫文を中心に、中国を支援する多くの日本人がいたことも。
やはり小説の力は大きい。巻末に「この物語は史実をもとにしたフィクションです」と書かれている。粉飾した部分も多いのだろうが、大きな流れは変わらない。すごい時代だった。でもひょっとして現在も、再び平和が破られようとしているのだろうか。「西洋の覇道に、東洋は王道をもって向き合うべし」という孫文の言葉は今にも生きている、と思う。
○母は叫んだ。/「庄吉に金ば貸した者はみな、おうちば使うてもっと儲けたかち企みよった業突く張りじゃなかか。そげんやつらのために命ば捨ててどげんすっとか。命ゆうのは、身ば捧げたかち心底から思うたもんのために、使うて使うて使いたおすもんたい。少なくともうちゃ、そげんしてきたとよ」(P48)
○西洋は東洋を侮り、比類なき武力で侵略して恥じることがありません。人道が侵されているので。であれば東洋の自衛は、世界人道の保全に異ならず。人類平等の礎に他ならず。東洋の諸国は自ら革まり、富み栄え、互いに尊重と友好をもって交わらねばなりません。/つまりは、と孫文は声を強めた。/「西洋の覇道に、東洋は王道をもって向き合うべし」(P99)
○中国同盟会のうち、十度も蜂起に失敗した孫文に愛想をつかした一派がいて、彼らは清軍内に同志を作って蜂起を準備していた。ところが…隠していた爆弾が暴発、駆け付けた官警は…蜂起参加者の名簿を押収した。続く捜査を恐れた革命派の軍人たちは…やぶれかぶれに蜂起する。これがうまく虚を突けたようで、地方総督は遁走してしまった。まさか蜂起が成功するとは思っていなかった軍人たちはがむしゃらに進撃して周囲の数都市を占拠、中華民国の国号と湖北軍政府の設立を宣言した。(P257)
○「国共合作は孫先生が決めたこったい」/「あれは大きな錯誤でした。孫先生は革命の核心でありますが、政治家としては無謬ではない」…「いまは内戦ば終わらせて、中国の統一ば成さんと…」池のほとりで庄吉は立ち止まり、言った。…「内実も統一せねばなりません…「慶鈴しゃんも孫先生の遺志ば継ぐために頑張っとる。…」/「彼女は孫先生の遺志を誤解している。三民主義は共産主義と相容れないのです」(P356)
○孫文の思想は、いまや国家の指導原理となっている。これからは誰かの正統性の糊塗にも、政敵を排除する名分にも使われる。いつか、理想のためには神にもなると庄吉に言い放った大砲(ほらふき)は、本当に神さまめいた存在になってしまった。万民平等の共和制を説き続けた人間が万民ならざる神になるというのは、いかにも矛盾だ。/だが…これから庄吉は孫文の神格化に加担する。銅像や映画がどれほどの力を持つか分からないが、憎悪が渦巻きはじめた東洋に、その連帯を唱えた人がいたという記憶が必要なのだ。(P371)