とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

服従

 来年2022年はフランス大統領選の年だ。2015年に出版された本書では、2022年の大統領選にイスラーム同胞党が名乗りを上げ、その党首モアメド・ベン・アッベスが、マリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線と一騎打ちの末、UMPや社会党などの支持も得て、またパリ近郊での暴力事件の発生もあり、大統領に選任される。こうした動きにノンポリを決め込んで、退廃的な生活を送ってきた大学教授でもある主人公は、社会の急激な変化に戸惑いつつも次第に迎合し、最後はイスラームに改宗していく。

 フランスだけではない。ベルギーも後を追ってイスラーム化し、西欧のキリスト教中心の政治体制や文化は崩れていく。それは単に、ノンポリ知識人の政治への無関心や、国民と政治やジャーナリズムとの乖離などだけが原因ではなく、キリスト教にもはや社会を変革する力がないこと、そしてイスラーム的社会観、すなわち「服従」こそが人々を絶対的な幸福に導くという社会思想が受け入れられていった結果でもあった。

 今まさに、アフガニスタンタリバンが国家を掌握し、イスラーム原理による政治と国家運営が始まりつつある。もちろん既にイランやサウジアラビアなど、イスラーム主義国家は数多ある。果たして宗教は人々を本当の意味で救うのか。単に、フランスがイスラーム化するという架空の小説として読むだけでなく、より本源的に「国家とは何か」「宗教とは何か」「国家と宗教の関係は如何にあるべきか」といった問いを読者に突き付ける。

 日本だって同じだ。衆議院選挙も間近に迫る中、またコロナ禍で人々の生活や政治観が大きく揺さぶられる中で、「国家とは何か」「真の幸福とは何か」「国家は如何にして人々を幸福に導くのか」。そうした国家観や人間観が今、真剣に問われている。

 

 

中道左派トロイア市民の盲目を模倣しているだけとも思えるのだった。…同様の事例は、「ヒトラーは最終的には理性に立ち返るだろう」と揃って思い込んでいた1930年代の知識人や政治家、ジャーナリストたちにも見られただろう。既存の社会制度の中で生き、それを享受してきた人間にとって、そのシステムに期待するものが何もなかった者たちが、格別恐れもせずにその破壊を試みる可能性を想像することはおそらく不可能なのだ。(P50)

イスラーム同胞党は特別な党なのです…。彼らは、通常の政治的に重要な点にはほとんど関心がなく、特に、経済をすべての中心に置くことはありません。彼らにとって不可欠な課題は人口と教育です。出生率を高め、自分たちの価値を次代に高らかに伝える者たちが勝つのです。…経済や地政学などは目くらましに過ぎません。子どもを制する者が未来を制する…ですから唯一重要な点…は子どもの教育なのです(P78)

○もちろんぼくは、何年も前から、国民と、国民の名で語る者、政治家やジャーナリストの間の、広がる一方の途方もない乖離が、必然的に、混沌として暴力的、そして予想のできない状況に導くだろうことは理解していた。…しかしこの何日か前まで、ぼくは、フランス人の大多数が諦めて無気力でい続けると確信していたのだ。おそらくそれはぼく自身がかなり諦めきって無関心だったからだろう。ぼくは間違えていたのだ。(P110)

○『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。…女性が男性に完全に服従することと…人間が神に服従することの間には関係があるのです。…イスラームにとって…神による創生は完全…なのです。コーランは、神を称える神秘主義的で偉大な詩そのものなのです。創造主への称賛と、その法への服従です。(P251)

カトリックの教会は、進歩主義者たちに媚び、おべっかを使い甘やかすことで…頽廃的な社会の傾向に抵抗不可能になり…厳格に否定できなくなったのだ。…西欧の社会は、自分で自分を救う状態にはもうないのだ。…移民人口が大量に増え、それらの移民がまだ自然のヒエラルキー、女性の服従や先祖崇拝の色濃い伝統的な文化の影響を受けていることは、ヨーロッパの道徳及び家族をリセットする歴史的なチャンスであり、この旧大陸に新しい黄金期をもたらす機運なのだ。(P266)