この本も内田樹の講演を聞いて、読もうと思った。面白かった。そして、本当に斎藤氏の言うとおりだと思った。人類は、人類に危機と滅亡をもたらす資本主義をすぐにも捨て去り、新たな経済システムに移らなくてはならない。それが「脱成長コミュニズム」だ。世界では既に、バルセロナを始め多くの自治体で、こうした取組が始まっている。
Z世代と呼ばれる1990年代後半から2000年代に生まれた若者たちは、既に資本主義の矛盾に気付き、怒り、「グローバル市民としての自覚をもって、今、社会を変えようとしている」(P123)。グレタ・トゥーンベリがその「象徴的な人物」と言われると???という気もするが、「彼女のような個性的なパーソナリティを、Z世代は多様性として素直に受け入れ、支持しているのだ」(P123)と言われれば、そうかもしれない。
本書は、マルクスの『資本論』第一巻以降の「研究ノート」などを徹底的に読み込み、晩期マルクスが何を研究し、何を考えてきたかを解明し、現在のマルクス主義が多くの誤解の上にあることを提示して、実はマルクスは「脱成長コミュニズム」を構想していたと主張する。タイトルの「資本論」はまさにそういう意味であり、晩期マルクスに即して、「資本論」の真意を読み込み、明らかにする。ちなみに、タイトルのもう一つの言葉「人新世」は、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンが名付けたもので、「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味」(P4)だが、これを「おわりに」では「『資本新世』と呼ぶのが正しいかもしれない」(P364)と書いている。まさに現在は、資本主義に翻弄され、人も自然も地球全体が、資本主義に食い尽くされようとしている時代なのだ。
本書では、マルクスに即して、進歩史観や生産至上主義、エコ社会主義などを考察しつつ、「脱成長コミュニズム」に至っていく。また、その過程で、「労働と生産」の意味、「価値」と「使用価値」の違いなどについて論じる。19世紀の経済学者ローダデールが唱えた「ローダデールのパラドックス」も興味深い。その内容はすなわち「私財の増大は、公富の減少によって生じる」(P244)というもので、我々が資本主義の真っただ中で私財を増やそうと競えば競うほど、「公富」すなわち社会はますます貧しくなっていく。
ロボット化が進み、生産性が上昇すれば、労働時間は短縮するかと思っていたが、事態は全く逆になっている。それは資本が「労働と生産」をますます貪欲に食い荒らし、いよいよその勢いを増していっているからだ。こうした資本主義の暴走から離れて、今後は定常型経済の時代に向かうべきだと主張してきたのが広井良典氏だが、筆者に言わせれば、「そのような楽観的予測は間違っているのではないか」(P129)ということになる。確かに、いかに「定常型社会を実現するか」の方途は広井氏の一連の著作を読んでも、はっきりと明示されてはいない。それに対して、本書では「脱成長コミュニズム」という解を明示し、その方法論も紹介している。
資本主義に立ち向かってはいけない。資本主義を乗り越えようとしてはならない。資本主義は一つのシステムなので、それに抗しようとしても必ずシステムはそれを所与のものとして次のステージを目指し、絶対に動きを止めない。だから我々は、資本主義とは別のフィールドで、新たな経済システムを構築しよう。それが「脱成長コミュニズム」だ。
そのために何をすればいいのか。「おわりに」では人々に3.5%の連携とアクションを求める。ワーカーズ・コープなど様々な事例が列記されているが、まずは意識を持つこと。そして敵をしっかりと見定めること。敵とは「人」ではない。「資本」という化け物だ。それをはっきりと認識した今、世界が少しでも「脱成長」の方向に向かうといい。残された時間は長くはないが、私に残された寿命に比べれば、まだ十分な時間があると思われる。生きているうちにそんな時代を少しでも垣間見られればいいと思う。
○人類の経済発動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは…収奪と転嫁を行うための外部が消尽した時代だといってもいい。…資本主義がどれだけうまく回っているように見えても、究極的には、地球は有限である。…外部を使いつくすと、今までのやり方はうまくいかなくなる。危機が始まるのだ。これが「人新世」の危機の本質である。/その最たる例こそ、今まさに進行している気候変動だろう。(P36)
○労働は、「人間と自然の物質代謝」を制御・媒介する、人間に特徴的な活動なのである。…資本主義においては…価値増殖という目的にとって最適な形で、資本は「人間と自然の物質代謝」を変容していく。/その際、資本は、人間も自然も徹底的に利用する。…資本は人間と自然の物質的代謝を大きく攪乱してしまうのだ。…その帰結が「人新世」であり、現代の気候危機の根本的な原因もここにある。(P158)
○資本の無限の価値増殖を求める生産が、自然本来の循環過程と乖離し、最終的には、人間と自然の関係のうちに「修復不可能な亀裂」を生む…。/マルクスによれば、この亀裂を修復する唯一の方法は、自然の循環に合わせた生産が可能になるように、労働の領域を抜本的に変革していくことである。…人間と自然は労働でつながっているのだ。だからこそ、労働のあり方を変えることが…決定的に重要なのである。(P291)
○利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では、地球環境は守れない。…人工的希少性によって…多くの人々を困窮させるだけである。/それよりも、減速した経済社会をもたらす脱成長コミュニズムの方が、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮する余地を拡大することができる。生産の民主化と減速によって、人間と自然の物質代謝の「亀裂」を修復していくのだ。(P320)
○SDGsもグリーン・ニューディールも…気候変動を止めることはできない。「緑の経済成長」を追い求める「気候ケインズ主義」は、「帝国的生活様式」と「生態学的帝国主義」をさらに浸透させる結果を招くだけである。…資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで、解決することなどできない。…資本主義によって解体されてしまった<コモン>を再建する脱成長コミュニズムの方が、より人間的で、潤沢な暮らしを可能にしてくれるはずだ。(P360)