とんま天狗は雲の上

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所有とは何か

 「資本主義の次に来る世界」の中で、資本主義的所有観はロックから始まったという記述があったように思う。斎藤幸平の本を読んでも、「所有」の始まりが資本主義の始まりのように感じる。所有とは何か。そんな疑問にまさに答えてくれる本ではないかと思って手に取った。編者である岸政彦と梶谷懐が始めた「所有権研究会」の参加者が、それぞれの専門の立場から「所有」について論考を寄せる。

 社会学者の岸政彦は、戦争によって私的所有権が解体された沖縄における自生的な共同体の状況を「沖縄タイムス」の記事から浮かび上がらせる。文化人類学の小川さやかは、所有よりも譲渡・貸与することで形成される関係性を重視するタンザニアの状況を描き出す。現代中国経済を専門とする梶谷懐は、中国における三層に重なる所有権・請負権・経営権の三権分置制を説明し、コンベンション(慣習)が所有制度に及ぼす根強い影響を語る。制度経済学の瀧澤弘和は、所有制度の変遷を語り、現代経済学における所有制度を説明する。社会理論を専門とする山下範久は、ウォーラーシュテインの世界システム論から始まり、二元論を否定する一元論的資本主義論を語る。そして哲学者の稲葉振一郎は、AIや動物、自然は所有権を持つことができるかという命題を検討する。

 後半はかなり難しく、十分理解できたとは言えないが、少なくとも、西洋起源の、そして現代日本では当たり前と思われている私的所有制度が、必ずしも絶対的なものではなく、かつ多様な所有制度を想像することは、より豊かな社会と生を生む可能性があることを感じる。所有とは何か。人間、死後の世界には何も持ち込むことはできないのだから、短い生の間に、所有に固執してもあまり意味はない。所有を生かす。タンザニアの暮らしはそれはそれで豊かで愉快なもののように思う。

 

 

○社会秩序の根源である私的所有権が戦争によって解体されたあとも、米軍による占領がながいあいだ続くことで、さまざまな基本的人権が充分に保証されない時代が続いた。…特に強調しておきたいのが、自生的な秩序の過酷さである。…自分たちで秩序をつくりあげ、生きていくことができる。しかしその際の秩序は…老人や子ども、女性や障害者などの、いわば「周辺的」な人びとにとって、きわめて過酷なものになるのだ。(第1章P82:岸政彦)

○政府であれ、銀行であれ、企業であれ、仲間であれ、一つのところに信用を置きすぎるべきではないと語る彼らは、当然「自分にも信用を置きすぎるべきではない」と捉えており、ゆえに所有物のすべてを自身で管理経営せず、営業権や経営権を他者に移譲することを、自身の負担を分散する、自身が上手くできないときに助けてもらう「保険」だとみなしているのである。/そしてこのような…「助けあい」の認識さえ共有されていれば…財の分散において「所有権」を保持しておく必要はない。(第2章P122:小川さやか)

○現代では、所有権は人間の経済システムの根本をなすものとして、人間のもっとも自然かつ基本的で普遍的な人権の一部を構成するという観念が一般に流布している。…だが、一般的に現代の社会科学は、こうした素朴な近代的所有観に対して一定の距離をとって注意深く接しているように思われる。人権はわれわれに自然に(あるいは神によって)与えられたものというより、歴史の特殊な経路をたどって「普遍化」されてきたものであることを多くの学者たちが明らかにしているからだ。(第4章P201:瀧澤弘和)

○今日、資本主義経済が多くの問題を抱える中で、さまざまな問題の根源をすべて資本主義がもたらした悪とするような論調が目立っている。しかし、現代の資本主義がさまざまな問題―所得や富の格差、地球温暖化問題、人びとの生きにくさ等々―を生じさせていることは認めるにしても、それらは本当に資本主義だけを唯一の「悪」とすることで解決される問題なのだろうか。…資本主義の廃絶という単一の形態ではなく、さまざまな問題を解決できる仕組みを考えることが必要なのではないだろうか。(第4章P253:瀧澤弘和)