とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

リスペクト―R-E-S-P-E-C-T☆

 先々週の中日新聞の書評に本書が載っていて、これは読まねばなるまいとすぐに注文した。そう思ったのは、本書がイギリスで実際にあった公営住宅占拠事件をモデルにした小説だから。でも期待以上に面白い。いや、文芸作品としての評価はどうか知らないが、「居住の権利」やアナキズムについて啓発するための小説としたら、抜群に面白い。さっそく学生たちに紹介しよう。

 「居住の権利」は当たり前のこととして、デモは結局、誰かの支配に慣れてしまった末の行動なのだと喝破し、自分たちのことは自分たちで始める。自分の生は自分自身のものだから、自分で決めて、自分で行動する。それこそがアナキズムの精神、と言われると、ああそうなのかと思う。

 そうした「運動が生活そのもの」な活動に触れ、史奈子は大手新聞社から独立し、自分の信じる生き方を始める。ひょっとして史奈子はブレイディみかこの分身なのか? これまでブレイディみかこは知っていたけれど、本は読んでこなかった。彼女の書くコラムはけっこう面白いかもしれない。まずは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」あたりから読んでみようか。

 

 

○政府や自治体が権力を持っているのは、人々のためにその力を使うためです。それを使って人を脅したり、人々から何かを取り上げるためじゃない。権力を持っている人々は本来の自分の仕事をすべきなのです。すべての住民が屋根のある場所に住めるように、手頃な家賃の住宅を提供すべきなのです。ロンドンに必要なのは、ソーシャル・クレンジング(地域社会の浄化)ではなく、ソーシャル・ハウジング(公営住宅制度)なのです。人には等しく居住の権利があるのですから。(P011)

○英国では2012年に法的に禁止されるまで空き家に侵入して住み着いても犯罪にならなかった。…こうした行為はスクウォッティングとも呼ばれる。…だが…法的に禁止されてしまってから、運動と占拠とは関係のない言葉になった。近年の運動は、デモをしたり、ネットで署名を集めたり、SNSで議論を闘わせるものになった。いまや運動はふわふわと流動的で、依って立つ拠点がない。物理的な不動のアジトを持って、そこで生身の人間が触れ合い、ぶつかり合いながら、一緒に生きるダイナミズムがない。(P072)

○人間に何かを強制するものは積極的に壊していくべきだよ。人間の生は自分自身のものであり、他の何物にも支配されるべきではないから。だけど、人間って、実は支配されたほうが楽だと思う部分があって、…自分の生を誰かに丸投げしてしまうんだ。たとえば、国家とか会社とかシステムとかにね。自分から進んで奴隷になりたがる。で、そのうち「より優れた奴隷になりたい」って競争を始めたりして」(P151)

○それが当たり前になると、そのうち誰かに支配されないと生きていけないと思うようになる。…だから解決してくれるお偉いさんにロビーイングをする、とか…デモをする、とかいうふうになってしまう。…アナキズムはお願いしない。そもそもお上にお願いするってことは、われわれを支配してくださいって言ってることと同じだからね。アナキズムはそうじゃない。自分たちで始める。自分たちの問題を自分たちで解決するんだ。(P151)

○運動の拠点が生活そのものだったんだよね」…どこからともなく、どんどん人が集まってきて、みんな自分が持っているものを持ち寄り、自分が持っていないものは貰って帰った。それは物品だけではない。知恵や情報やスキルもそうだった。できないことはできる人がやり、各自が必要なものを、必要に応じて手にした。誰かがボスや元締めになって上から分け与える必要なんてなかった。(P253)