とんま天狗は雲の上

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いわゆる「ロックダウン」ではなく、いわゆる「都市の封鎖」

 先日、小池都知事による新型コロナウイルスの感染拡大に関する記者会見の際に、「『都市の封鎖』、いわゆる『ロックダウン』」という言い方をした。

 ん? 待てよ。普通「いわゆる」という言葉は、前に述べた表現を、よりわかりやすい、言葉に置き換える時に使うのではないか。Weblio辞書では「世間で一般的に言うところの」といった説明がされている。しかし、「ロックダウン」などという言葉を私はこれまで聞いたことがなかった。「都市の封鎖」ならまだ理解できる。これは本来、「『ロックダウン』、いわゆる『都市の封鎖』」と言うべきではないのか。

 小池都知事はこれまでもカタカナ語が多い(「小池都知事のカタカナ語」など)という批判がされているが、「都市の封鎖」だけでも十分恐ろしげなのに、「ロックダウン」という言葉を持ち出して、さらに何が言いたかったのだろうか。それとも、ロックダウンの方が気楽に受け入れられやすいと思ったのだろうか。

 新型コロナウイルス関連では、先に専門家会議が3月2日の「感染症対策の見解」の中で、「屋外の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上集まることによって、患者集団(クラスター)が発生する」として、「クラスター」という言葉を使い、さらに3月19日の「感染症対策の状況分析・提言」では、「あるときに突然爆発的に患者が急増(オーバーシュート(爆発的患者急増))する」として「オーバーシュート」という言葉を使用している。

 以降、マスコミでは「クラスター」や「オーバーシュート」が一般的な用語であるかのように使用されているが、何も無理にカタカナ語を使わなくとも、「患者集団」や「爆発的な患者の急増」で一向にかまわない。というか、その方がよく理解できる。

 一体、何を考え、あえてわかりにくいカタカナ語を使用するのか。「国民に対して専門性を意識させ、要請に従わせよう」としているのか。もしくは、「漢字が醸し出す恐怖感を和らげたい」という意図でもあるのか。しかし事態は十分、恐怖心を煽っていい状況のような気がする。とすれば前者か。

 いずれにせよ、こうした言葉の置き換えには必ず意図が隠されている。小池都知事が「ロックダウン」という言葉を持ち出した背景には、近日中にも特措法に基づく緊急事態宣言が発令されるという見込みがあるのではないか。その時、マスコミは盛んに「ロックダウン」という表現を使うのかもしれない。それにしても、「クラスター」や「オーバーシュート」以上にわかりにくい言葉だ。

PS.

 この記事を投稿してから、今朝の新聞を開いたら、私と同じことを河野防衛相が言っていた。全く同感です。