とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

大洪水の前に

 「人新世の『資本論』」で一躍注目を集めた斎藤幸平だが、その原点は本書にある。角川文庫で文庫化されたのを機に、遅ればせながら読んでみた。想像通り、難しい。それでも先に「人新世の『資本論』」や「ゼロからの『資本論』」を読んでいたので、概ねの内容は理解できた。簡単に言えば、マルクス進歩主義的、生産至上主義といった批判に対して、資本論第1巻以降の研究ノートなどを研究すると、物質代謝論をベースに、地球環境にも配慮した資本主義に代わるアソシエーションをベースとした新たな社会システムを検討していたというあたりだろう。そのことを多くの文献を読み込むことで検証していく。

 それにしても学術論文は難しい。中でも、博士論文にしてドイッチャー記念賞を受賞した論文を収録した前半は難しい。後半はその後に執筆した論文を収録したとのことで、少し読みやすくなったが、それでもやはり難しい。というか、些細な部分を詳細に論述していくことに付き合うのは、なかなか忍耐力を要する。文系の学生は大変だなと思ってしまう。

 ということで、コメントは以上で終わり。さて、次は「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を読もう。とりあえずもう既に図書館で予約した。

 

 

マルクス疎外論が問題視しているのは、労働が自己実現や自己検証のための人間らしい自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性剝奪、アトム化を引き起こす活動に貶められている近代の不自由な現実のあり方である。こうした状況に抗して、マルクスは「私的所有のシステム」の廃棄による労働疎外の克服を掲げ、人々が他者とのアソシエーションを通じて、自由に外界へ関わり、労働生産物を通じて自己確証を得ることのできる社会の実現を要求したのだ。(P37)

○資本家は競争に強制されて、衛生・安全・環境保全設備なども含めた「余分な」コストを削減しようと…する。労働者の側も競争のもとで、失業すれば生活が立ち行かなくなるという恐れに駆り立てられて、資本家の命令に従い、労働条件の悪化にも耐え忍ぶような態度を取るようになる。…人々は物の運動によって支配されるのみならず(「人格の物象化」)、…自らの欲求や態度を物象の担い手としての機能に自覚的に合致させるようになっていくのである(「物象の人格化」)。(P144)

○物象化した物質代謝の問題は、資本というカテゴリーの登場とともにより顕著になる。というのも、資本のもとで、価値は社会的生産の単なる「媒介」にとどまらず、「目的そのもの」へと転化するからである。こうして、抽象的人間的労働を絞り出して、生産物へと対象化させることが生産の目的となる…。まず、物象化の力は貨幣の登場によって増大する。「一般的等価物」としての直接的交換可能性という社会的使用価値は、「貨幣蓄蔵」という新しい欲求(「黄金欲」)を生み出すからだ。だが、さらに大きな変化が生じるのは、価値が資本として「主体化」することによってである。(P157)

○資本はより柔軟な生産を行うために、素材的世界を徹底的に利用していく。…例えば、労働力は弾力的であり…市場における競争下では、総資本を増やすことがすぐにはできないかもしれないが、そのような場合にも、労働力の弾力性が市場の需要の変動に合わせた、調整弁になってくれる。…さらに資本は…自然の「無償の恵み」を領有することで、生産性を増大させていく。…自然は弾力的でもある。…環境は生産や消費から生じる様々な否定的帰結を弾力的に吸収してくれるのだ。(P303)

○資本にとっての問題は、みずからの弾力性が究極的には労働力と自然力の弾力性に依存しており、素材的限界に直面することである。…一度これらの限界を超えてしまうなら、弾力性は伸び切ったバネのようにその機能を失ってしまう。…資本が絶えず限界を超えようとすることによって、むしろ環境危機を深刻化させ、持続可能な発展を不可能なものとするのである。…資本の限界は資本そのものである(P304)