新聞やテレビなどの既存メディアの未来を心配する声は多い。だが、地方メディアは全国紙やキー局とは違う。「現実と事実と真実」でも書いたが、全国メディアが伝える「事実」はどこまで「真実」かわからないし、それを伝えるだけであれば、方法は色々ある。紙や一方通行のメディアは時代遅れだ。だが、「現実」を伝える役割は今も求められている。地方メディアが伝えるニュースは、それが「事実」かどうかは同じ地域に住む者であればある程度は推測できる。だから厳しくもあり、期待もされている。そうした住民の視線を背に感じてか、地方メディアは全国メディアに比べればまだ、まともさが残っている。
本書は、神戸新聞の記者を経て独立した筆者が、秋田魁新報、琉球新報、毎日放送、瀬戸内海放送、京都新聞、そして東海テレビを取り上げ、それぞれの地方でドキュメンタリーや連載記事を担当する記者や担当者を取材し、紹介する。全国メディアから配信されるニュースの真実性がますます信頼を失う中で、彼らのがんばりこそがこれからの時代、さらに求められていく。経営的に厳しくなる中で、気概や信念を持って活動を続ける地方メディアを応援するとともに、今後のさらなる活躍を期待をしたいと思う。
○よく「賛否真っ二つ」なんて言いますが、実際はそんなことなくて、どんな問題でも賛成3割、反対3割だとすれば、その中間に3~4割の無党派、態度未定の層が必ずいる。世論を動かすには、その層に訴える記事を書くことだと、これ沖縄の経験から学んだことですが」/社会は分断され、対話の成立しない時代といわれる。…今、新聞に何ができるのか考える時、松川の指摘は極めて重要に思える。(P028)
○深い付き合いはないが、同じ部活動やサークルにいて、人柄はある程度知っている。良くも悪くも、特に目立つところのない「普通の」人間だった。少なくとも、特異な思想や偏った主張を持つようには見えなかった。…かつて自分の近くにいた、いかにもありふれた人間たちが沖縄を標的にフェイクやヘイトをばらまいていることが私には情けなく、ショックであると同時に、フェイスやヘイトの本質とは、こうした「普通の」人間に巣くう卑小な権威主義ゆえの攻撃性や悪意、そして無関心の総体ではないかと感じるのである。(P089)
○「立法・司法・行政の三権の中で、司法は最も批判・検証されない権力ですよね。一般の市民には裁判所への“神話”みたいなものがあって、政治家や役所、警察や検察に比べて、まだまだ信頼は強いと思います。仮に無実の罪に問われても、裁判所はちゃんと正しく判断してくれると、なんとなく信じられている。いや、そんなことない。裁判官も官僚主義ですし、証拠を都合よくつまみ食いする。だから、きちんと監視しないといけないということを、もっと知ってもらいたいんです」(P157)
○「地方メディアは、報道機関であるとともに地元企業の一員でもある。権力監視をしっかりやるのは当然ですが、一方で地元の応援団でもありたいと考えています。地元の行政でも政財界でも、おかしいことがあれば批判する。けれども、斬って捨てて終わりではなく、ではどうすればいいのか、解決策を視聴者と一緒に考えていく。答えはすぐに出ないでしょうが、責任を持って伝え続ける。そういう姿勢がなければ信頼されない。(P160)