とんま天狗は雲の上

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平等な社会は環境負荷が低い

 先日、「人新世の『資本論』」の著者である斎藤幸平の講演会を聴く機会があった。斎藤幸平と言えば、この春にも「100分de名著」に出演するなど、今、最も旬な研究者の一人。WEBで講演会が聴けるとはいい時代になったものだ。

 話は、「人新世の『資本論』」でも書かれていた、SDGs批判から始まった。SDGsやCOP26を主導する先進国側の動きを「緑の資本主義」と批判し、世界では、グレタ・トゥーンベリを始めとするジェネレーション・レフトが主張する「脱成長」との対立が顕著になっていると指摘する。しかし日本における「環境問題」は、既得権益側と再生エネルギーの推進を主張する側との対立となっており、世界の動向からは圧倒的にズレて、遅れている。

 「緑の資本主義」側の「EV+再エネ+省エネ」は、急速に進む地球温暖化の前に、スピードと効果面で本当に有効なのか。また持続可能なのか。それは単に、現実逃避と延命の言い訳に過ぎない「神話」ではないのかと非難する。先進国が主張する「緑の経済成長=GND(グリーン・ニューディール)」は、チリその他の途上国から産する希少鉱物などに依存し、それらの国で深刻な環境破壊をもたらしている。結局、経済成長を続けながら脱炭素社会を目指すことは困難であり、欺瞞である。目指すべきは「脱成長コミュニズム」であり、「新しい快楽主義」による真に「潤沢な社会」だと言う。マルクスは「平等な社会は環境負荷が低い」と言ったというが、ホントかな?

 講演後、「こうした社会はどうすれば実現するのか」という質問に対して、「既に世界のトレンドはこうした方向に向かっている。日本も30年後には新しいパラダイム転換が起きている」と予言めいた回答をするに留まった。「脱成長コミュニズム」には賛同するが、このような楽観的態度で大丈夫だろうか。一方で、「日本は2周遅れ」という言葉からすると、将来的には日本は世界の後進国になっているということなのかもしれない。

 それにしても、「脱成長コミュニズム」という理想論にもやや飽きた。このままでは危ないという脅しも楽しくない。「緑の資本主義」批判からもう一歩、具体的かつ戦術的な方策が聴けるとよかった。若しくは、マルクス資本論の読み解きをしてもらった方が面白かったかもしれない。「環境問題」といった倫理的な視点から話を始めるのではなく、「資本主義による格差の拡大と総体的な貧困化」といった経済的な視点から話を始めてはどうか。せっかくの知性が「環境問題」に拘泥し、前に進めなくなっているような気がする。やや残念に感じた。