とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた

 このお気楽なタイトルの本は、筆者が毎日新聞からの誘いに応じて、2年間、様々な実地体験をした上での論考を記事にした連載をまとめたものである。「人新世の『資本主義』」を始め、資本論を中心に、マルコスの研究メモなどを読み込むという仕事は、確かに現場仕事ではない。だからこそ「現場に出てみましょう」という毎日新聞社の方の申し出は非常に意義がある。まずはそれを評価したい。

 その申し出を受けて、実地体験と意気込んだ早々にコロナ禍に見舞われ、テレワークやあつ森体験など、屋内でできる体験から始まった。それはそれで面白くもあるが、やはり水俣病問題や釜ヶ崎石巻や福島など原発被害の現場での体験は、筆者の意識を大きく開かせていく。マジョリティの側にいることを自覚し、自己批判する文章も多くなるが、その上で何をするか。何を考えるか。最終的に辿り着いたのは、小松理虔の「共事者」だろうか。

 この連載が終わった後、筆者は東大へ移った。「ゼロからの『資本論』」がその最初に仕事か。今後の斎藤幸平も注視していこう。だが同時に、小松理虔や小松原織香など、多くの若い研究者・実践家を知ることができた。彼ら・彼女らの本も少しずつ読んでいきたいと思った。

 

 

○三週間ほどあそんでいると、コミューンが目指したはずの平等で公正な社会は、もはやどこにもない。資本主義が嫌で無人島に移住してきたはずなのに、いつのまにか、自分がすべてを金の力で決める島の独裁者になっている。…私たちはゲームの中でも貨幣の力にからめとられ、…その結果、プレイヤーは独裁者になることでゆがんだ野望を実現しようとしてしまうのである。…あつ森のヒットの理由が現実の資本主義社会の不満を暴力的な形で消化する全体主義的な快楽だとすれば、コロナ禍での任天堂の明るい業績も素直に喜べない。(P44)

○「日本には年功序列があって、大人に気に入られることしかできない」のに対し、米国では「大人にできないことをやろう」という空気があると指摘する。…「Z世代というのは価値観だと私は思っています。それは未来に対して誰にとっても持続可能であるような最善の選択をとる努力ができるような価値観です。つまり、この価値観は世代に限定されるものではない。日本に足りないのは、こうした新しい価値観を学び、一緒に行動しようとする大人の姿勢ではないのか。(P132)

○私たちはしばしば、正しい法律を作れば世の中は良くなると考えているが、…社会通念が変わらない限り…無視され…ないがしろにされる…。だからこそ、差別禁止の明確なルール作りを各職場で行う必要がある。だが、それを実行できるのは国ではなく、私たち労働者なのである。…争議を通じて、職場の規範として具現化していくのだ。(P141)

○少し勉強して、異文化を理解した気になることは容易い。…けれども、それで安住してしまえば、そのような「わかりやすい」イメージに合致するマイノリティだけを選別し、…逆にそこに合致しない…存在に対しては、排除や不寛容の態度が向けられる。そうやって「当事者」の一部も「管理されやすい主体作り」に安住してきたのだという石原さんの批判は鋭い。(P193)

○この社会では、あなたも含めて誰もが様々な理由で苦しんでいるにもかかわらず、その苦しみは「常識」とか「出世」とかの名のもとで抑圧され、不可視化されている…「自分の苦しみは大したことない」、「もっと辛い人がいる」とみんなが我慢したせいで、日本は「沈黙する社会」になってしまったと石原さんは言う。だとすれば、自分を大切にするために、自らの感情に言葉を与えることは、この誰もが「わきまえすぎている」社会において、他者と連帯するための一歩なのである。(P194)