とんま天狗は雲の上

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帝国と宗教

 これまで宗教学系の本は何冊も読んできたが、島田裕巳氏の本を読んだのは初めてかもしれない。名前は知っていたけど、なぜか触手が伸びなかった。本書はタイトルに惹かれた。ローマの時代から多くの帝国は宗教と手を携え、または時に争いながら、盛衰を繰り返してきた。中でもキリスト教とローマを始めとする西洋の国々との関係は、例えば「カノッサの屈辱」など、いったい何があってそれが起きたのか。帝国にとって宗教とは何なのか。そんな疑問を持ってきた。

 島田氏は宗教学者ではあるが、本書はどちらかと言えば、帝国の側の視点に立って、それぞれの帝国にとって宗教はどういう役割を担い、どういう関係にあったのかと明らかにしている。取り上げる帝国は(東・西・神聖)ローマ帝国、中国、イスラム帝国ウマイヤ朝アッバース朝など)、モンゴル帝国オスマン帝国ムガル帝国、それに古代フェニキアカルタゴからスペイン、ポルトガルなどの海の帝国。ただし、海の帝国は付録的でそれぞれの宗教的な状況を書くのみ。それ以外は、各帝国の歴史を中心に、国家と宗教との関係を描いていく。

 ちなみに、モンゴルは特に決まった宗教を持たず(それゆえに滅ぶのも早かった)、中国は儒教の国というが、儒教を宗教と言うべきかどうかは疑問がある。よって、帝国に宗教が不可欠なわけではなく、(東・西・神聖)ローマ帝国キリスト教徒の関係が特殊だったのかもしれない。一方、イスラム教における帝国は政教一体のもの。もちろんこれも特殊例。

 ローマ帝国にあってはキリスト教は皇帝の政権に正当性を与える役割を担い、中国やモンゴル帝国では宗教とは関係なく版図を広げていった。すなわち、帝国と宗教には何も決まった法則があるわけではない。それぞれの帝国においてそれぞれの宗教との関係を見ていくしかない。宗教が帝国にとって必然ではなく、ただ、多くの人々にとって、国とは関係なく、それぞれが生きていくにおいて、宗教が大きな影響を及ぼしたということだ。

 ということで、帝国と宗教の関係に関する疑問が解けたわけではないが、各帝国の歴史をこれまで以上にクリアに理解できたのはよかった。歴史は面白い。今起きているユダヤ教イスラム教の争いもあとから振り返れば、別の見方が見えてくるのだろう。もちろん、いい形で紛争が収まるように、今を生きる我々は全力を尽くさねばならない。宗教と国の関係はいつになっても難しい。

 

 

○宗教には…二つの主な機能があると考えられます。/一つは社会秩序を維持する機能で、もう一つは社会秩序に反抗する機能です。…社会が大きな問題を抱えるようになると、それぞれの宗教の教えや倫理に従って、社会を批判し、権力のあり方を否定するようになっていきます。…帝国はその領土拡大と経済発展のために宗教を利用し、また宗教も新たな信者を獲得するため、帝国を利用したのです。(P33)

○皇帝や王は軍事力によって支配者の地位にのぼりつめるわけですが、なぜ支配者にふさわしいのか、その根拠を示すことが求められます。その際に決定的な役割を果たすのが宗教です。…つまり帝国の覇者たる皇帝は、その権力を正当化するために宗教を利用したのです。(P43)

○広大なローマ帝国を統合するには、宗教の力は不可欠でした。最初、ローマ帝国はその役割を皇帝崇拝に求めましたが、皇帝は次々に交代していきますし、複数の皇帝が並立する状況も続きました。それに比較して、キリスト教の神は人間界を超越し、世界を創造した存在とされたわけで、その神を信仰することによって帝国をまとめ上げていく方が、はるかに安定した支配が実現されると見なされたのです。(P66)

○経済的に豊かになれば、人々は次第に堕落しやすくなっていきます。その際に重要な役割を果たすのが禁欲を説く宗教です。…モンゴルはもともと特定の宗教をもっていませんでした。…元においては、奢侈を戒める宗教が存在しなかったのです。…そうなれば帝国の支配は安定性を欠くものになってしまいます。そこが元が短命な帝国に終わった根本的な原因があります。(P92)

東ローマ帝国の皇帝であったレオーン3世は、726年にイコンの崇敬を禁じる勅令を出しました。…その結果、東西の教会の対立は激化します。/そうなると、ローマ教会としては東ローマ帝国の皇帝に代わる保護者が必要になってきました。そこでローマ教会が頼ったのがフランク王国でした。…800年、教皇レオ3世は…シャルルマーニュに対してローマ皇帝の冠を授けます。…戴冠式東ローマ帝国の皇帝には無断で行われました。/これによってローマ教皇は王国の支配者の権力を正当化する力を示し、…東ローマ帝国の皇帝やコンスタンティノーブルの教会から独立を果たした形になります。(P140)