「はじめに」を斎藤幸平氏が書いており、てっきり斎藤幸平が中心となって編集された本だと思っていた。「おわりに」を、京大准教授で精神科医の松本卓也氏が書いている。これを読んでようやく、どちらかと言えば、松本氏が主導で作られた本だということに気付いた。松本氏が主宰した<コモン>に関するトークイベントに、斎藤氏が参加し、聴衆者であった杉谷和哉氏(現・岩手県立大講師)の「コモンって『自治』のことですよね」という発言がきっかけで「自治」という言葉の重要性を認識。「自治研究会」に参加した人々による討論の末に完成したのが本書である。改めて、表紙を見れば、「斎藤幸平+松本卓也=編」と書かれている。
とは言っても、斎藤幸平が中心的かつまとめ的な役割を果たしていることは間違いない。第1章では、政治学者の白井聡が「大学における『自治』の危機」と題して、全共闘運動の始まりと終焉を振り返りつつ、現状を語り、第2章では、文化人類学者の松村圭一郎が、小規模商店が地域の「居場所」となっている実態を紹介する。
興味深かったのは、第3章の、杉並区長・岸本聡子の文章だ。オランダを拠点とする政策NPOで働いていた岸本がたまたま帰国した際に「3ヶ月後の区長選挙に立候補してほしい」と打診され、市民主体の政策集団に担ぎ上げられる形で出馬。そして当選する。彼女が紹介するのが、地域主権主義「ミュニパシズム」である。さらに、第4章では社会学者の木村あや氏による市民科学と政治の問題、第5章では、松本卓也氏の精神医療の歴史と現在地、そして第6章では、歴史学者の藤原辰史氏が、5.15事件などの発端となったと言われる権藤成卿の自治論を俎上に載せ、自治について考察する。第7章は、斎藤幸平のまとめだ。
白井聡が紹介する「魂の包摂」という概念は、確かに我々のなかに根付いてしまったかもしれない。そしてそこから完全に抜け出すのは難しいかもしれない。自治や政治は、それを専門とする人に任せればいいと思わないでもない。でもやはり、自分の心は自分のものだ。納得のいく生き方をしたい。そのためには、おかしいことはおかしいと声を挙げなければ、いや、せめて「おかしい」と感じた自分を評価しなくてはいけない。<コモン>のための「自治」というのは、確かに重要な視点だと感じる。
○【斎藤】なぜ、<コモン>が「開かれている」ことが大事なのかと言えば、外部の人たちに対して攻撃的で、排他的な「自治」もあるからである。…また、不平等な「自治」も存在する。…つまり、「自治」であれば何でもいいというわけではない。より「良い」自治を考えるために、<コモン>という考えが欠かせないのである。/<コモン>とは、単に「自治」をするだけでなく、それを民主的で、平等な形で運営することをめざすものだ。(P7)
○【白井】新自由主義は「自立・自律・自己責任」を要求する…にもかかわらず…市自由主義的な空間が、本来そのイデオロギーが前提するはずの「自立/自律した主体」からかけ離れた主体を生産するという逆説が…あります。…資本主義の高度化が行き着くところまで行くと、やがて資本主義の価値観を完全に内面化して、自己というものを失った人間が出てくる。…すなわち人間の思考・価値観、さらには感性までもが資本によって包摂されてしまう…「魂の包摂」と呼ぶべき段階です。(P27)
○【斎藤】野宿者は、文字通り「家がない」状態であり、これを「ハウスレス」と呼ぶ。このような経済的困窮は、生活保護をもらって、アパートに入ることで解決する。…しかし…仮にアパートに入っても、家族、ご近所さん、友人とのつながりがない状況が続くなら、結局は部屋に閉じこもって、ますます社会から孤立してしまう可能性がある。…それが「ホームレス」の状態だ。(P194)
○【斎藤】制度を変えよう、法律を変えよう、政治家を取り替えて政策を変えようというトップダウン型の変革だけでは、いつまで経っても社会は変わらないのです。/むしろ重要なのは、権利を要求する社会運動のほうが力を持つことです。…人々の規範意識を揺さぶるような社会運動が広がっていくなかで、法律の運用もさらに厳格なものへと変更されるでしょう。そういう「下から」立ち上がっていく変革の好循環をイメージすべきなのです。(P246)
○【斎藤】「ミュニパシズム」(地域主権主義)と呼ばれる動き…が今、ヨーロッパを中心として…市民の国際的なネットワークを形成するようになっているのです。/その流れは、杉並区長になった岸本さんの運動にもつながっています。…岸本さんを擁立した「住民思いの杉並区長をつくる会」は、…市民たち自身が先行して政策集をまとめあげ、岸本さんが候補者になってからは「区長は何をめざすべきか」を一緒に煮詰めていきました。(P261)
○【斎藤】<コモン>の再生や共同管理を通じて、人々が実質的に意思決定に参加し、統治や制度化というプロセスに携わっていく。そうすることで、私たちの主体的なアントレプレナーシップがさらに磨かれ、「構想の実行の再統一」も実現されていく。この循環のなかで民主的な政治が生まれ、新しい社会の可能性があらわれてくるでしょう。(P271)