とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

失せ物

 私は「落とし物名人」である。過去にそう書いた。公園でウォーキング中、胸ポケットに入れた時計を取り出した際に、名札を指に引っ掛けて落としてしまった。指に引っ掛けた時に名札が外れた感触はなかったから、この時はまさに「落とし物」。その前の「忘れ物 曖昧な記憶」で書いた傘の場合は「忘れ物」。2008年にも「忘れ物」という記事を書いているけど、これは忘れたのではなく「間違えた」。切符に行きと帰りがあることを失念していたということでは、「忘れコト」かもしれないが、モノそのものを忘れたわけではない。

 2017年の「忘れ物は止められない」では、スマホを忘れた件と、落とした件の二つの出来事が書かれている。前者は「忘れ物」。後者は「落とし物」。二つの事件はなくした物は同じでも、原因は明らかに違う。ちなみに、その記事内で書かれている10数年前の財布の紛失は「落とし物」で、「携帯電話紛失事件」も同様に「落とし物」だ。こうして総じて見ると、「忘れ物」よりも「落とし物」の方が多い。

 「落とし物」であれば、持ち歩く際に、ポケットやバッグなどを工夫すれば防ぐことができる。それに引き換え、「忘れ物」はひとえに自分の行動や頭脳の問題。もちろん気を付けることである程度は防げるかもしれないが、何かに気を取られた時など、一瞬、ふっと気が抜けてしまい忘れてしまう。これは100%自分のせいであるし、事前の対処法も難しい。なので、その時は落ち着いて落とし物を回収するための対応を進めるしかない。

 で、先日、落としたわけでもなく、忘れたわけでもなく、突然、ある物が失せてしまった。物とは、健康保険の「限度額適用認定証」。妻が入院中なのは既に書いているが、月が替わり、病院で保険証とともに「限度額適用認定証」の提出を求められた。認定証は大事だという意識があったので、保険証とは別に、医療関係の封筒に入れて保管してあった。ところが、その封筒の中を探すが、見つからない。ない! なぜ?

 では、他の重要書類を保存しているファイルの中にあるのだろうか。そちらも探すが、やはりない。では、別の場所。まさか印鑑と共に保管してあるとも思えないが、見つからない。仕方ない。再発行してもらおう。そう思い、所属の協会けんぽへ電話した。限度額適用認定証は再発行ではなく、再度の申請で発行するとのことで、申請書の入手方法(HPからダウンロード)などを教えてもらった。

 ダウンロードする前に、もう一度、仕舞ったはずの封筒の中を探す。今度は、封筒の中に入っているその他の書類もすべて出して、間に挟まっていないかと確認するが、やはり出てこない。あきらめて申請書をダウンロードする。ダウンロードしたPDFファイルは、Adobe Acrobat Readerを使えば、パソコンで必要事項の記入が可能。先々月購入したばかりのパソコンにまだAcrobat Readerがインストールされていなかったので、こんな時に面倒だなと思いつつもAdobe Acrobat Reader DCをダウンロードし、インストールする。必要事項を記入し、最後に自著をして、申請書が完成。

 封筒に入れ、郵送先を書こうと、再び保管してあったはずの封筒の中にあった限度額適用認定制度のパンフレットを探す。するとなぜかこの時になって「限度額適用認定証」が封筒の中から飛び出してきた。えっ? なぜに? やはりあったんじゃないか!

 なぜ始めから入っていたはずの認定証が見つからなかったのか? 2度目に探した時などは、中の書類を1枚1枚確認したはず。それなのに見つからず、いざ住所を書いて送ろうと思ったその時に見つかった。これは「パソコン購入後2ヶ月もしたら、いい加減、Adobe Acrobat Readerをインストールしろよ」という神(若しくはAdobe社)の思し召しか? いずれにせよ、よかった。いや、見つかるまでの作業や困惑などを思うと、まったく割の合わない出来事ではあったが、見つかってよかった。

 それにしても、これは「忘れ物」でも「落とし物」でもない。あえて言えば「失せ物」。こういうことってたまにある。どんなに気を付けていても、突然消え失せる物たち。彼らは消えることで何を訴えようとしているのか。今、わが家では、妻の免許証と土産物の財布が紛失中だ。妻は40年近いペーパードライバーで、免許証を使用することはないのだが、半年くらい前から行方不明。先日、ついに免許更新の案内が来たのだが、このまま手続きをせずに無効にしてしまおうかと考えている。本人は現在入院中だし、今後40年振りに運転を始めるようになるとは思えない。

 また財布は、3年半前に奈良県今井町へ旅行した際に妻が買った物だが、その後、仕舞いこんでいた。先日、2階の部屋を整理していたら、突然現れた。せっかく出てきたので使おうかとどこかへ置いたはずなのだが、なぜかまた無くなった。いや、再度の保管場所を忘れただけのような気もするが、財布自体が意思をもって「消えた」ような気がする。まさに「失せ物」。どうして彼らは「消える」のか。消えることによって「失せ物」たちは、私に何を伝えようとしているのか。妻の代わりに彼らが「消えた」のであれば、このままずっと失せたままでいてくれてもいいのだが。