白井聡と言えば、少し前に、松任谷由実を批判してネットで叩かれていたことが思い出される。私も松任谷由実の政権擁護の発言には少しびっくりしたので、白井聡の気持ちはわからないでもない。それはさておき「資本論」である。「おわりに」で書かれているが、本書は、平川克美主宰の隣町珈琲での「『資本論』入門講義」をベースにしたとのことだが、全部で14講まで。ちょうど大学の半期の講義回数と同じ。ほぼ中間の第9講で、第二次世界大戦後から現在までの資本主義の推移を振り返るなど、大学の講義と同じだなと感じた。
章毎にテーマがはっきりして、非常に読みやすく、わかりやすい。「はじめに」で「みんなが一生懸命『資本論』を読む世界が訪れてほしい」(P004)と書かれているが、本書内で引用される『資本論』は非常にわかりにくく、これを読んだからといって、興味をそそられ、「次は『資本論』を読もう」とはならない。正直、本書を読めば十分、という気がする。それで不足というなら、本書と同様な平易さで、『資本論』の他の部分も解説する書物を書いてほしい。白井氏にはそのように期待したい。
それで、本書は『資本論』の入門書・解説書である。まず、マルクスによる「資本制社会」の定義を紹介し、「富」と「商品」に対するアダム・スミスら古典派経済学との違いについて説明する。そして、資本による「包摂」、資本による「剰余価値」の追求。資本主義の発展により豊かになったとすればそれは単に副次的なものに過ぎず、「資本」はただただ自らの増大を目指すことを示す。生産性の向上や技術革新も人間を幸福にするためのものではなく、ただひたすらに「剰余価値」を求めた結果であり、それこそ「資本」の本質、その運動が「資本」そのものであると喝破する。
後半は、資本制の始まりである「本源的蓄積」がいかに暴力的に始まったかを示し、「階級闘争」を勧めるが、実はその部分はあまり具体的でもなく、闘争的でもない。「私たちはもっと贅沢を享受してもいい。その資格を持っているのだ」と人間の基礎価値を認めるところから始まる。逆に、「自分はスキルがなく、価値が低い」と自虐的になることこそ、資本に包摂された状況だと指摘するのだが、それはいいとして、自己意識の回復・改心から先の道筋が見えてこない。
この点、先に読んだ「人新世の『資本論』」では明確に、新たな経済システムとしての「脱成長コミュニズム」を掲げ、そこに向けての連帯を説いている。本書でも最終章で「等価交換の廃棄こそコミュニズムが進むべき道である」というロシア革命初期の法学者パシュカーニスの考えが紹介されているが、そこで止まってしまっている。その先は結局、白井聡も「人新世の『資本論』」の斎藤幸平同様の「コミュニズム」へ至るのか、続きを読みたい気がする。
ちなみに、本書のタイトルにある「武器としての」というフレーズだが、階級闘争を始めるにしても、「人間の基礎価値を信じる」だけでは武器としてあまりに弱い。資本主義、なかんずく新自由主義に対するある程度の「盾」にはなるかもしれないが、あくまで防具であって攻撃のための武器にはならないのではないか。「脱成長コミュニズム」ですら、まだまだ武器として弱いと感じる。資本主義に対するさらに屈強な武器はないものか。
○賃労働とはつまり、資本家が労働者の労働力を買ってきて、何らかの商品を生産させ、それを市場で売るということです。この場合の労働力とは、「労働力という商品」なのです。…「労働力商品」が何か別の商品を生産しているのです。/物が…生産され…消費する…そのプロセスすべてが資本主義的に、すなわち商品の生産、流通、消費として行われている。それが資本制社会です。(P043)
○資本はとにかく増えること、ただひたすら量的に拡大することを目的にしています。その他のことはどうでもいいのです。「増えることによって、人々が豊かになる」ことは資本の目的ではありません。人々が豊かになるかどうかはどうでもいいことであって、増えることそのものが資本の目的なのです。資本主義の発展によって人々が豊かになるとすれば、それは副次的な効果にすぎません。(P101)
○①絶対的剰余価値……労働時間の延長から得られる剰余価値/②相対的剰余価値……生産力の増大から得られる剰余価値/…とりわけ…重要だと思われるのが「特別剰余価値」という概念です。…技術革新は、人間を幸福にする目的で行われているわけではないのです。その目的は…特別剰余価値の獲得にあります。…剰余価値を求めることこそ「資本」の本質であり、その運動が「資本」そのものである。(P137)
○生産性の向上によって…商品が安く手に入るようになった…しかし…生産する側から見れば、その製品の社会的価値が低落した…生産に従事する労働者から見れば、労働の価値が低下するということです。…私たちは…ひたすら生産性の向上を求められ、…それによって私たちの労働の価値が下がり続け、同じ生活を送るためにますます長い時間、働かなければならなくなっています。(P167)
○生活レベルの低下に…「それはいやだ」と言えるかどうか。そこが階級闘争の原点になる。…新自由主義は単なる政治経済的なものなのではなく、文化になっている…それは資本主義文化の最新段階なのです。その特徴は、人間の思考・完成に至るまでの全存在の資本のもとへの実質的包摂にあります。…それゆえ、意思よりももっと基礎的な感性に遡る必要がある。…私たちの生活の全領域で、どういう感性を持つかが問われている。(P277)