とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「自由人」への道

 退職して3週間。この3週間を振り返ると、とにかく忙しい。週1の大学講義もあるし、妻の通院、サツキの剪定、買い物、家事など、次から次へとやるべきことが現れる。代表戦が終わったと思ったら、ACLのゲームが3日おきに開催される。先週末にようやく大学講義の準備もひと段落し、多少ブログを書く時間もできた。でも来週もまた多くの日程が埋まっている。退職したら暇になるはずが、全然そうなっていない。

 4年前は、時間があると張り切って部屋の片付けをしたら首が痛くなって、次の週には寝込む事態となった。これから退職する人には、空き時間を無理に何かで埋めるようなことはせず、自然体で暇な時間を持て余すくらいがちょうどいいと伝えたい。やることがなければないなりに、やることが生まれ、そのうちにそれらに追われるようになってくる。暇と言ってテレビを見ていれば、テレビを見ることに追われるようになる。今、わが家では録画をしたクラシック音楽番組が見切れずに溜まっている。自由を恐れず、さりとて期待もせず、自然体で自由時間を受け止めることを勧めたい。

 前に「『社会人』から『自由人』へ」と書いたけど、けっして「社会」からドロップアウトしたわけではなく、会社という「組織」からドロップアウトしただけだ。地域社会の一員として近所付き合いは続くし、友人・知人らとの交友も続いている。もちろん日本社会の一員でもある。就職することを「社会人になる」というので、その反語で敢えて退職することを「社会人でなくなる」と表現してみたのだが、実際には退職しても「社会人でなくなる」わけではない。「組織人」でなくなるだけだ。

 これまで組織の一員として、組織としての発想を優先したが、これからは組織に縛られる必要はないし、発想を押し付けてくる組織がない。でも、社会の一員ではあるので、社会人としてどう行動すべきかは当然考える必要がある。社会と言っても色々あるので、どの場合にどの社会の判断基準を参考にするかはその時々で考える必要がある。全くの独創で発想することは難しいし、人は必ず何かを拠り所にして生きている。「自由人」と言っても、本当の意味での自由人にはなれるものではない。

 退職してから3週間、本当の意味で自由に発想し判断したことがあっただろうか。ワクチン接種の時期を妻とずらしたこと位かな。おかげで妻はもう2回目の接種を終えたというのに、私はまだ1回もワクチンを接種していない。これでワクチン接種前にワクチンがなくなったら、それは自由判断の結果、自己責任と言うのだろうか。「自由人」と胸を張って言えるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。