とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「単純化」という病

 安倍政権下で起きた3つの事件。森友学園加計学園、そして「桜を見る会」の問題について、それぞれ筆者が詳細に分析をして見せる。前2件は与野党対立の中で、本来の問題から離れ「単純化」された結果の騒動だったと整理する。一方、「桜を見る会」は、首相が国会で虚偽答弁を重ねた、憲政史上に残る大事件だったと総括する。

 加えて、安倍氏銃撃事件以降の統一教会問題や国葬儀についても分析し、安倍的な政治手法、すなわち「法令順守と多数決による単純化」が岸田政権になっても相変わらず繰り返されていると指摘する。野党もなかなかそれを打ち破れない。いや、野党も一緒になって「単純化」を進めてきたのだ。加えて、メディアもそうした状況を後押しした。つまり、今のメディアも含めた政治体制ではこの状況は変えられない。ではどうすればいいのだ。

 「病」は指摘できるが、その治療方法は簡単には見つからない。時間が経てば、「病」も治癒に向かうだろうか。それとも「外圧」? 国際情勢の変化が日本社会を変えてくれるだろうか。何でもいい。早くこの状況から脱することが必要だ。病は刻々と進行し、日本を芯から腐らせていっているように見える。

 

 

○安倍首相の「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」という国会答弁を発端として、問題が「森友学園と安倍首相夫妻との関係の有無・程度」に「単純化」されたために、財務省の過剰反応が、理財局長の国会での虚偽答弁や決裁文書改ざんなどに発展する一方、籠池氏側の反発に対する与党・官邸側の稚拙な危機対応のために、本来は全く不要だった籠池氏証人喚問という国会イベントを行うことにつながった。その後始末のために、検察が、与党・官邸側の意向を受けて、「籠池詐欺事件捜査」に着手するという事態にもつながっていった。「単純化」による社会的混乱そのものと言えよう。(P39)

安倍氏は、首相の国会での虚偽答弁という「憲政史に残る汚点」について、納得できる選挙も行わないまま次の選挙で再び勝利することで禊が済まされるというのであれば、「虚偽答弁」の背景にある、日本の政治を支配してきた「ウソの構図」が放置されたまま、それ以降も、「説明責任を果たさないままウソの政治」が横行することになる。(P134)

○第二次安倍政権発足後…日本の政治の世界で起きた主要な事象において…共通するのは、「法令遵守と多数決ですべてが解決する」という考え方である。選挙で多数を占めたことで、法の制定も解釈も、極論すれば「好き放題に」行うことができる。それが「法令遵守」に反しない限り何の問題もない、という考え方で正当化されると、権力者の行いを抑制するものは何もない、ということになる。(P192)

安倍内閣においては、「選挙で多数の国民の支持を受けていること」を背景に、何か問題が指摘されると「法令に違反していない」と開き直り、そう言えない時には「閣議決定で法令解釈を変更した」として、すべての物事を問題ないことにして済ますやり方がまかり通った。/それに加えて、「法令違反」を客観的に糺す立場の検察が、政権に忖度や配慮をするということになると、「法令遵守と多数決」による「単純化」は、まさに「完結」することになるのである。(P199)

○岸田首相の手法は、安倍氏のような挑発的な態度で対立を煽るものではないが、重要な問題を多数決の論理で押し切る手法は安倍氏と共通する。/安倍政権の下で進んだ「単純化」は、安倍氏の個人的要因から離れ、自民党を中心とする政権の一般的な特徴になっていく可能性がある。それが、日本社会全体を覆う「単純化」と一体化することで、その病理は、長期間にわたって日本社会を蝕むことになるかもしれない。(P214)