とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

私労働小説

 「リスペクト―R-E-S-P-E-C-T」は昨年読んだ本の中で最も心に残った。それで、続いて発行された本書も読んでみた。扉裏に自伝的小説と書かれている。すべてがフィクションではなくとも、近いことはいろいろ経験したのだろう。

 本書の中でもっとも心を打たれた言葉が「リスペクト」だ。ナニーとして住み込みで働いた先の上流階級の夫人の差別的な言動に思わず言ってしまう言葉「それは、あたしがあなたたちをリスペクトしていないから」。また、第五話「ソウルによくない仕事」で下宿先の女性が言う言葉「自分自身を愛していれば…闘うことができる」。

 前著「リスペクト」の中でも、主人公たちは権力側に対して「リスペクト」を要求する。「リスペクト」とは本当に重要な言葉だ。昨年の紅白歌合戦は「多様性」がテーマだったが、多様性が大事なのではない。人それぞれ多様なのは当たり前。そうではなく、その多様な人々を「リスペクト」できるかどうかが重要なのだ。

 世の中は「シット・ジョブ」を引き受ける人がいて回っている。我々はこうしたエッセンシャル・ワーカーの人々をもっとリスペクトすべきだ。もちろん気持ちだけでなく、労働に見合う賃金も含めて。この世はシット・ジョブで成り立っているのだから。

 

 

○年齢、美醜、失礼。さっきから、この場の会話はその三つを軸にぐるぐると回っていた。それはまったく水商売というものを象徴しているような三つの言葉だ。あたしたちは年齢と美醜で判断されて、失礼な言葉や態度を許容することでお金を貰っている。/ということは、客は女を年齢や美醜で判断し、失礼なことを言ったり、したりするために金を払うわけだ。…失礼を売り、失礼を買う。失礼は金になるのだ。(P32)

○どうして人を招いたりしたのですか」/「ソーリー」/あたしはまた謝った。/「そうじゃないでしょ。あなたは質問に答えていません」/どうして勝手に人を招いたのか。その理由は、あたしが地下に住む人間の分際で思い上がっていたから。あたしが他人のものを勝手に使う泥棒猫だから。・そういうことをイザベラは言わせたいのだと思った。そしてあたしに「すみません、もうしません」と誓わせたいのだ。-「それは、あたしがあなたたちをリスペクトしていないからだと思います」/なのに、あたしは全然違うことを口走ってしまった。(P78)

○人間は大きな数字に惹かれ、大きな数字の一部になりたがる。それはたぶん、大きいほうの数字に含まれていないと、少数派になってしまうからだ。数が少ないほうに含まれていると、ダメなほう、イケてないほう、弱いほうになってしまうという不安が人にものを買わせるのである。/数字はある種の暴力だ。/そして暴力が関与しているときに人は財布の紐を緩ませるものなのだ。(P101)

○フロアの作業ライン全体が一つの機械であり、その燃料はあたしたちが食べる食事や甘いものや缶コーヒーだ。あたしたちは、食べることで自分の体にカロリーを投入しているようでいて、実はこの機械に燃料を投入しているのだ。あたしはもはやこのシステムに吞み込まれている。…それは不思議に心安らぐ認識でもあった。…ただ委ねていればいい。大きな全体に自分を委ねていれば、自分で何も心配する必要はない。…人間って、こういう風に生きていくのが最も適しているのではないか。(P111)

○「人間が低くなるのは、二つあるんだ。一つ目は、他人に低く見なされるから自分が低い者になったように思えるとき。これは闘うべきだし、どちらかといえば簡単な闘い。もう一つは、本当に自分自身が低くなっていくように思えるとき。こういうときは、その場からできるだけ早く離れるべき…あたしたちみたいな仕事をしているとね、いつも人から下に見られる。だけど、自分自身を愛していれば、それに抵抗できるし…闘うことができる。(P193)